恋について

恋のこと、分かんね~~~って、中学生のころから飽きることもなく言い続けているんですけれど、少しだけ最近分かったことがあるので書きます。(ただし全然一般的ではない、私だけの発見のお話)

「好き」ってのがず~っとイマイチよく分からなくて、分からないまま人と付き合ったり別れたりして、でも結局分からないままで、ただひとつ私にとって目印としてあったのが、「好きな人といると景色が美しく見える気がする」ということでした。

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恋愛に限らず、友達でも家族でも、その人といた時のことを思い出すと不思議に世界が光っていた気がする人が何人かいて、その人たちのこと、きっと私はすごく好きなんだな、と思っていた。その光だけは、恋っぽいものだと思えたのだった。

だけどこないだ気がついたのです。「好きだから光って見える」んじゃなく、「世界が光って見えることが好き」なんじゃないかって。私が見たいのは、実は、世界のほうだったんじゃないかしら。光そのものに、焦がれてきたんじゃなかったかしら。

私は、人に恋がしたいんじゃなく、もしかしたらずっと、世界に恋したくて生きてきたんじゃないか。

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そうやって気がついたら、すーっと気が楽になったのです。そうかあ、私はずっと、世界に恋をしていたんだな。だから、無理して人に恋を求めなくていいや。世界がきらきらして見えたらそれが私にとって一番の幸せで、一番優先で、恋人がほしいとか結婚したいとか、そういうの全然、二の次だったんだな~。だからずっと頓珍漢だったんだな、恋愛への態度。って、分かった。

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それとついでに気がついたのは、「一緒にいると世界が美しく見える人」、単純に、私が私のままに話して振る舞える人たちのことだなってことです。何を話しても話さなくてもいいと感じられる人たちの前で過ごす時、私はひとりでいるよりもなお私として存在することができ、それはとても気持ちの良いことで、安心した私の感受性がのびのびと拡がって世界が光って見える、そういうことではないかと思い至ったのでした。

というわけで私、恋人に恋しなくてもいーや、と思ったら、急に恋人を作る気になった。私がめいっぱい世界に恋できるのなら、きらきらの心で世界を見られるのなら、一緒にいるのはどんな人だっていい。恋とか好きとかよく分かんないけど、私は世界に恋してられたらハッピーで、だから、私の心を曇らせないで隣にいてくれる人、いてくれたらそれでいいなって思った。私を安らかに私でいさせてくれる人、いてくれたらすごくいいなって思った。

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そういうわけで、また人と付き合ってみることにしました。私にとっての一番はどうしても世界そのもので、だから一番にはしてあげられないかもしれないけど、できるだけ心を開いてみようと思う。一緒に世界にわくわくできたらいいね、そしてもしもほんとに気が合って、この先私の一番親しい人間になってくれるなら、そんなことが起きたら、それはとても素敵。

やっぱ無理!もお互い全然あり得るけれど、まずは一緒に歩いてみましょうか、ってことで、やってみることにします。変わらずジタバタするでしょうけど、ご笑覧いただければ幸いなのであります。かしこ。


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それではおやすみ、みなさま良い夢を。




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