心のこと

私はさ~、会うの難しくないし、優しくしてもらうのも、やることやるのもそんな難しくない女だと思うんですけど、たぶん心を手に入れることだけめちゃくちゃ難しい。なぜなら私の心は私のものですらないからです。会って優しくしているからといって、セックスなどしたからといって、付き合ったからといって、「だから好きであろう」とかないからです。心は私の意思より上位にあって、雨とか海とか風とか、そういう類いのもの。勝手に移りゆくもの。そう捉えているから、「やったから何?」「付き合っているぐらいで私の心をどうにかできると思うなよ」といつでも思っている。

心は常に揺らぎ、形を変えていく。その変化を押し止めたり、ねじ曲げたりすることは、季節を逆戻りさせられないように、できない、と私は思う。

だから、私の心は私のものではないから、私の支配下にあるものではなく私を支配するものと思っているから、私はいつも自分の判断のこと全然信頼していない。心が明日にはどちらの方向を私に命ずるか分からないから。自分の心が変わらないということをとことん信じていない。今日の真心が明日にはすべて錯覚になっているかもしれない。

でも、ひとりならなんだっていいのだ、怖いものなんかない、心が変わったならその場でくるりとターンして行き先を変えれば良い。心の赴くままに、お供してどこへでも行けば良い。

だけど、人を巻き込むのは、怖いね。明日も明後日もひとりの人を変わらず好きである自信がない。私の心が変わることが、人を悲しませたり他者の人生を混乱させたりするのは、申し訳がない。

私は自分ひとりのことについてはスーパーフッ軽ウーマンだけれども、付き合うとか結婚するとか、そういう、人を巻き込むことについて妙に腰が重く頭が固くなるのは、そのためである。私は私の心に振り回される人生を楽しんでいるけれど、他人を振り回すことはけっこう恐れている。私は私の心にどれだけ振り回されたってどこまででもついていけるけれど、他者は私の心に拒否されたらその後は私の心に付き合うことすらできず、私の人生から消えることになるから。そんな横暴な、と私は思う。思うけど、どうすることもできねえ。すまねえ、と思うしかねえ。子供なんか持った日にゃ、私の心に振り回されるのを拒否することすらできない命が爆誕するわけで、ますますオオゴトである。あなおそろし。

どうして私はこんなにも、心への忠誠を誓っているのだろう?とも思う。だけど私は、自分の心に一生ついていきたい。死の果てまでお供して、行き着く先を見届けたい。どうしてかは分からない。いつの間にか、そういう生き方しかできなくなってしまった。そこにしか、命の意味を見いだせないでいる。

心ってなんだろう?鳥が統制のとれたV字型の編成を組んで北へ向かう、あれは鳥がそうしようと思ってそうしているのでなく、そういうプログラムがあって、数式で説明できて、それに従うと自然にあんな形になるんだという。だけど、そこに、一羽一羽の鳥たちの中に私たちが心と呼ぶものがないとなぜ言えるだろう?逆に、私たちの心それこそが何らかのプログラムである、そうとも言える。心は、何かそういう、命のおおもとと繋がっているのだと、私は思っているけれど。

your majesty, 心って何者なんだろう。私は何に従っているんだろうね。私に分かるのは、自分の心にとことん誠実であることが、私にとって一番後悔や憎しみなんかを生じない生き方であるってことだけだ。他者への誠実よりも。

私の主が誰かを傷つけることに怯えながら、誰かを遠ざけることを悲しみながら、自信のないまま、誰かの手を取る。あなたのことより、私のことより、心を一番上に置いていること、ごめん、と思いながら、生きていく。


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