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内緒の話

あれは多分、ちょうど1年ほど前のことだ。
私はすこぶる参っていた。仕事が思うようにできなくて、周囲から蔑まれているような気がして終始びくびくして、それでも上司は頼りにならないし、虚勢を張って一人で立っていた。未来に何も見えなかった。付き合っている人はいたけれど、その人とこの先ずっと生きていくのかと思うと暗鬱とした気持ちになった。自分にできることなど何もない、好きな友達はいるけど、会えたところで数日後にはまた職場での毎日に戻るだけ。この先見たいものなど何もない気がした。足元からフジツボみたいに絶望感がびっしりと貼りついてくるようで恐ろしかった。生きるならば、頑張らなければならない。頑張ればよくなることもあるだろう。でも、頑張ってまで見たいものが何もない。なら、ここで終わっても別にいいよな、もういいな、と、何度も思った。

些細なことで息ができないほど泣いた。何に泣いているのかはよく分からなかった。生きるための力がなくて、ただ、今自分がいなくなったら、引継ぎのため、眉をひそめられるだろう半端な仕事が同僚の目にさらされる、それに対する恥の意識だけで今日は死ねない。そんな日々を続けていた。

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その日は在宅勤務をしていて、やっぱり仕事がしんどくて、体はびたびたに水を含んだ布団のように重かった。たぶん心も。それでも一応指は動くので、できる仕事をする。前日に隣の課の人に確認を頼まれていたことをチャットに打ち込む。送信する。ぐったりする。それでもともかく、別のシステムを開く。手を動かす。たまに電話をかける。そうやってどうにか一日を過ごす。誰も彼もが素っ気ない気がして落ち込む。でも落ち込むと身動きが取れなくなるので、流す。できるだけ心を動かさずにしのぐ。そうすればジワジワと時が経っていく。

ぴん、とチャットの通知が届く。のろのろとクリックすると、さっき確認事項を送った相手からで、了解しました、の後に、「○○さんはいつもレスポンスが速くて助かります」の一言があった。

それだけ。
それだけで私は、ちょっと泣いたのだ、読んだ瞬間、うれしくて。

普段の業務ではほとんど接点がない人、話したこともまったくと言ってよいほどない、そんな人が、そういうふうに思ってくれていることに、事務的なやり取りにその言葉を添えてくれたことに、とてつもなく救われたのだ。きっと彼はもう覚えてもいないだろう、そんなちょっとした出来事。だけど確かに私はその時、命を救われた。それがなかったら、その後ぎりぎりのところで負けていたかもしれないから。それ自体は本当に些細なことだけれど、49対51みたいなすれすれの戦いをしていた私には、それは、すごく大きな意味を持った。

1年が経ち、あのとき私を救った人は偶然にも今恋人として横にいる。彼はたぶん覚えていないだろう、ただこの数ヵ月で私と親しくなったと思っているだろう。何気ない言葉で自分が私を救っていたなんて、知りはしないだろう。

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いつかお礼が言いたいなあ、と見ているうちに気になる人になってしまったこと、少しだけ話して「仲良くなれそうなのにな」と思っているうちにいつしかそれが「仲良くなれないなんておかしい」という身勝手な感情に変わり、だけど全然仲良くなれなくて、その違和感に耐えられず見ているのもつらくなって蓋をして、だけどやっぱり気になるから苛立って、半年くらいの間はあなたを嫌いだったこと。

いつか話すかもしれないし、話さないかもしれない、内緒の話です。

(そして言葉は強くて日々は多面的で、この話もきっと少し嘘だろう。振り返れば辛い時期だったけれども、楽しいことも時々あって、陰鬱なだけではなかったはずだ。ひとつの筋書きにまとめることは、その筋に沿わない細かい出来事や感情を無視するということ。それを私は恐れるけれど、でも、物語が持つ力に助けられてきたのも絶対的な事実だから、現実に基づいたフィクションとしてここに置きます。言葉や物語の持つ大きな力を大事に、できるだけ慎重に取り扱いたい)

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