姫と従者

しばらく前に父と母とちょっとした旅行のようなものをして、その時に思ったんだけれど、私の父は姫のようで、母は従者のようなのだ。

父は免許を持っておらず、運転はすべて母がする。まあ母は運転好きなので、別に悪いことではない。

父は「あそこへ行きたい」「あれが見たい」と言うけれど全然自分で調べない。運転してないから手空いてるし、調べればええやん?と思うけど、時々一応スマホをこちゃこちゃして調べるような素振りをするものの、具体的な提案は出てこない。母はちょっとイラッとしつつも、結局できるだけ父の希望を聞き取って叶えてあげる。そうすると父は機嫌よくニコニコしている。逆に希望が叶えられないと、すぐにムスッとする。じゃあ自分で調べて叶えられるように動きなさいよ、と見ている私は思うけど、しないんである。なぜ?と思うけど、しないったらしない。そして、なぜ?と思うけど、母はなんだかんだ言っても甲斐甲斐しく、彼のご希望のために動いてやるのである。こんなわがままじいさん放っておきなよ、と私は時々思ったけれど、放らないんである。甘やかしている。

その様子が、亭主関白とかそういうんじゃなくて、お姫様と有能なその従者に見えたのだった。(父がおじさんながらなんとなく可愛い風貌なのもあるかもしれない。可愛いはズルい)

でも、その構図で言うと、私は明らかに父タイプなんだよなあ。と思って、大きな溜め息をつきたくなる。私も大概わがまま野郎なんである。

なんでこんなわがままな男に付き合うんだろ、って私はふたりを見ていて母に思ったわけだけど、その姿をくるっと回転させたら、それは私とそのとき付き合っていた彼の姿にとてもよく似ているのだった。(ちなみに私は免許を持っているけど、彼と2年間一緒にいてハンドルを握ったのは1度きりでした。)

まあこんな感じで話していると父はシンプルにクソオヤジなのだけれど(そして私はクソ女)、しかし、母が夫にええように扱われている可哀想な女かというと多分それは違って、母は母なりに誇りというか、喜びをもって従者をやっている面もある。ようである。

母は、父の才能に惚れ込んで付き合って結婚して、その後幾度もの離婚の危機をぎりぎり通過して、数年前に銀婚式を迎えた。そして今でも彼女は父の仕事に、その仕事をやり遂げる彼の豪胆に、感嘆し続けている。父は人としてはそれなりのろくでなしだけれども、「この才能の光を見続けたい」というかつての母の思いは、それだけは、ずっと、今も裏切らずにいる。めちゃくちゃな男だけど、その点においては決して母を失望させなかったのである。

だから母は、なんだかんだ言っても困ったお姫様の面倒を見る。姫が描く未来を見たいがために。姫が存分に大暴れできること、もっと輝けること、そこに自分の存在が不可欠であったという自覚は、従者の喜びであり、ときに生きる理由になる。

結婚して30年近く経った最近、母が父に「あなたと結婚してよかった!」と言っているのを聞いた。「結婚してなかったら、あなたの仕事を追うだけでめちゃくちゃお金もかかっただろうし、こうして全部を近くで見られる人生で、まあよかったな」って、その発言にいたるまでのいろいろを思って、私はちょっと泣きそうになった。たぶん、父もうれしかったと思う。

自分がいなければこの才能は十分に開花しなかったかもしれない、途中で枯れてしまっていたかもしれない、その想像はきっと甘美なもので、また父も、母と一緒にならなければどこかでのたれ死んでいた、と実際自分で言っている。多少は謙虚なところもあるクソオヤジなのである。だから母は頑張れるのだろう。(まあ、時々ぶちキレて父を泣かせたりしているが、良い従者だってたまにはお姫様を叱るものでしょうから、きっと)

ところで、父の母であるところの祖母もまた、姫の人である。けれど、その夫である祖父は、従者の人ではなかった。祖父は祖父で、殿のような人であった。そやから祖母は、(時代もあったであろう)姫なりに一生懸命夫につかえた。けれどチグハグだった。それは、孫の私が振り返ってみても、どうにもチグハグであった。そして今、祖父を看取ってひとりになった祖母は、これまで抑えつけられてきた持ち前の姫っぷりをドカンと燃え上がらせ、なぜかデイサービスのおねえさんや整体のおにいちゃんたちの尊敬を集める女ボスみたいになって、めちゃくちゃ楽しそうに暮らしている。(これには実の息子である父が一番驚いていた、自分の母、こんな人だったとは…と。ほんとにキャラが変わっちゃったので)

そういう姫の魂を、おそらく私は受け継いでいる。わがままで高慢で忍耐が苦手で、鼻持ちならない。そんな自分に辟易とすることもある。ていうかいつもである。

だけど多分、姫は姫にしかなれない。

祖母を見てたから分かる。姫が従者をやろうとしても、残念ながらへったくそであんまり皆幸せにならんのである。大体従者なんていうのは、実務を執り行う者は、器用で現実見えてる人間でなきゃつとまらないのだ。姫はその辺まじでだめなんである。はっきり言ってポンコツだ。

だけど姫には姫の仕事がある。というか、なければならない。じゃないとポンコツお姫様など路傍に放り出されてあっさりのたれ死ぬだけなので。姫のdead or aliveは、民に、自分についてきてくれる者たちに、夢を見させることができるかどうかにかかっている。この人のために働きたいと、思ってもらえるのかどうか。有能だけれどひとりでは灯台が見えず彷徨ってしまう人に、I bet you (直訳)と思わせることが、わがままも許せるほどの「何か」をもたらすことができるのかどうか。そういう戦いをしていくことが、姫や殿や王様の生きる道なのだと思う。(なんで急に英単語混じりにしたんだろう)

私はわがままである。ときに暴君であるかもしれない。だけど、別者になろうとするよりはより良き姫を目指すことのほうが、少しだけ持ってるかもしれない輝くものを、輝かせられる可能性が高いのではないかと思うものだ。嫌悪される可能性も批判される可能性も承知のうえ、自覚をもってわがままをやっていく覚悟である。祖母や父の背中を見て、背筋を伸ばし、せめて民に慕われる姫であらんと、つかえられて幸せだったと思える姫であらんと、すること。尊敬される存在でなければ、王権なんてひっくり返されておしまいだ、傲慢なんてとても脆いものだ。そのことを私は常に胸において、それでも傲慢であろうと思う。

もちろんきっと、姫と従者みたいじゃないカップルや夫婦もいくらでもある。対等に助け合って生きている人がたくさんいると思う。姫と従者みたいな二人組は、今の時代には、あんまり良いものとされないかもしれない。虐げてるとか、搾取してるとか、見えるかもしれない。ていうか、そうなのかもしれない。実際、人を踏んづけて生きてるのかもしれない、私たち。

だけどなんか、それが良いとか悪いとか、一口に言えないのがこの長い人生じゃんね、と私は思ってる。加害者側の論理になる危険を常に孕んでいることも知ってる、みんなに誉められる生き方にはならないことを知ってる。だけどその全部を引き受けて、私は父と母をよい夫婦だと思うし、私は私をやめずに生きていこうと思う。私を愛して、ついてきてくれる人がいる限り。

正しさが何よりも良いことだとする、汚れや歪みを許さない見方が加速する世の中で、傷ついても傷つけても、ボロボロになっても、私は私であることをやめない。間違った行動をしない賢い傍観者であるよりも、世界をちょっと良くすることができるかもしれない行動を取り続ける狂人でありたい。

そうして、そんな私についててくれる人がいるのなら、私が夢見ることを助けたいと思ってくれる人がいるならば、私は全力でその人のことを幸せにしようと思う。何十年先にもその信任を後悔させない、立派な姫であろうと思うものである。

まあ、姫っていうか、言ってること君主?って感じですけどね。

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