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『破綻する美術館』について

・前書き

こんにちは。こんばんは。
水色の焦土です。

『破綻する美術館』というコンセプトで程良く破綻した生成物を放出しようと思い、3記事ほど投稿させて頂きました。

 ちょうど良い没生成物供養なんじゃないの? と思われるかもしれませんが、没にした生成物はしっかり選別していますのでご安心ください(没生成物供養ではないのか? と詰められると苦しいです)。

 キャプションコメントを付けるかどうかで試行錯誤しているのですが(キャプションで意図を定義したくなく、しかし感想を書くと大喜利会場になるので塩梅が難しい)、良い破綻生成物を厳選しておりますので、気になられたのなら是非覗いてみてください。


・『破綻する美術館』とは?

 破綻している生成物を並べた記事です。

 とても破綻している美術館です(とても破綻している美術館とは?)。


・なぜ『破綻』にこだわるのか

 なぜわたしが『破綻』にこだわるのかについては、自己紹介記事にて書かせていただきました。

 破綻が必然的に生まれてしまうのであれば、破綻を許容するような生成物を作れば良いのでは? 指や腕が増えたり、人体や構造物がぶっ壊れているような破綻が許容され得るものを作れば良いのです。そこにこそ、AIイラストという存在の意義があるような気がしたのです。今、この界隈はとても危うい場所に立たされています。その場所から抜け出るためには、そういったある種の特有性を持たせた表現を目指すべきだとわたしは考えました。

『破綻する美学』とは?

 ということです(自分の記事を沢山貼り付けて申し訳ございません)。

 わたしももう stable diffusion を触り始めて2ヶ月と少しほど経つのですが(もう2ヶ月も経つの!?)、触り始めた当初は AIイラストのじゃじゃ馬さには困らされたものです。もちろん、今でも困らされておりますが。

 指なんてのは可愛いものです。多腕もまぁ。地味にめんどくさいのは身体が伸びるやつですよね。上半身でも脚でも良いのですが、「俺が気を遣っておいてやったぜ……」みたいなしたり顔をしてくる AIくんの表情がわたしにはハッキリ見えます。わたしは断じて「hasshaku sama」などというプロンプトを打ち込んではいないのですが、そういったことを平気な顔をして行ってくるのが現状の AIというわけです。

背景と世界観も相まってより「hasshaku sama」感が強い例
NPに「long body」と入れてもこれが出ますが、幅と画面サイズの問題かもしれない
多腕は美しい
多腕は美しい その2
多脚は美しい

 こういった破綻をコンセプトとして取り入れていきたいな、と思ったのがそもそものキッカケです。

 とは言うものの、人間が手で描いても人体とは簡単に破綻するものです。一度でもイラスト製作を行ってみた方ならご存じかとは思いますが(かくいうわたしも恥ずかしながらイラスト製作を囓った経験がありますし、部屋の隅で埃を被った intuosくんから目を逸らしております)、人体とは本当に複雑怪奇なもので、なかなか思い通りに描くのは難しいものです。

 指なんて本当に七面倒くさい構造をしており、バストアップでお茶を濁すのは常套手段。腰辺りまで描くにしても後ろ手に組ませ、極力目を逸らしたい部位に他なりません。

 とは言いつつも、わたしは人体構造の些細な破綻(“些細”ではないのだろうなぁと、昨今の情勢を見ていると思いますが)にはあまり興味がありません。

 多腕や多脚などは美しいなぁと思うものもあります。結局は配置のバランスなんだと思います(例えば胴が極端に長かったり、指がイソギンチャクみたいになっているものはあまり美しいとは感じません。ですので、なるべくそれらは排したいと考えております。決して『破綻』なら何でも良いというわけではございません)。

 こういう破綻、美しくないですか?

 よほど先進的か前衛的な感性を持っていない限り、基本的にわたしたちは構造的に有り得ないものに対しては「美しい」より「違和感」が勝つものだとは思っております。現状の AIイラスト界隈の方々が、平たい言い方をすると、いわゆるシュルレアリスム的な表現方法よりも、実際のイラストレーターと真っ正面から戦う方向を向いているのが、何よりの証左だと思っております。

 真っ正面から戦うというと語弊がある言い方かもしれませんが、わたしにはそう見えます。『ControlNet』の『shuffle』や『reference only』などは実装当初とても話題になりましたし、今まで AIイラストが苦手としてきたキャラの顔や服装の同定を LoRA 無しで可能にするとのことで、いわゆる『うちの子』を手軽に量産できるようになったのでしょうし(わたしは本当に CN を触らないのでまったく詳しくない)、『LamaCleaner』はその手軽さと使い勝手の良さで必須ツールになりましたね(こちらは触ってみましたが、環境に組み込もうか考えているところです)。


 AIイラストは、まったく新しい表現方法だと言うひとがいます。

 Photoshop や SAI などが出た後、アナログでは表現が難しかったであろうデジタル特有の過剰な光の描写や、塗りムラとは無縁の塗り機能。何よりその手軽さ(都度画材を揃える必要もなく、描き直しがとても容易です。複製も受け渡しもとても楽ですね)が、イラスト製作におけるスタンダードの一つになるまでには色々とあったのでしょうが(イラスト畑の人間ではないのであまり詳しくありません。詳しくないのに言及することが、良いことではない自覚はあります)、当時は目新しく、それは今ではとても当たり前な方法論となっております。


 AIイラストは、本当にまったく新しい表現方法なのでしょうか?

 手描きのイラストと見紛う、それを凌駕するクオリティのイラストをものの何秒から数分で製作できる“ツール”としては、確かにとても新しいものでしょう。

 その“ツール”が目指した先にあるのは、既存のイラストレーターの方々と競合する、言い換えれば、同じ土俵で戦うことなのでしょうか?

 あまつさえ、有名イラストレーターの作品を模倣することなのでしょうか?(もちろん、これに限れば本当に極端な例です)

 指の破綻の修正から始まり、あらゆる画面上の破綻を否認し、わたしたちが知る範囲での完璧を目指すことが AIイラストなのでしょうか?

 AIは本当に簡単に破綻した生成物を作ります。簡単なプロンプトさえ(1girlでさえも)無視し、まったく言うことを聞きません(どのような破綻が起き得るのかについては上記の『破綻する美術館』をご覧下さい。ですがこういった破綻は、まだ鑑賞に堪え得る一部のものです)。それを手懐け、自分の思い通りの生成物を目指すのはとても楽しい作業です。わたしにも経験があります。人物を2人指定し、肌を触れ合わそうとすれば簡単に人体は融合し、スカートの裾から腕が生え、人体が何かを知るはずもない AIくんはそういった破綻を簡単に引き起こします。

 困難が立ち塞がったとき、それを自分の試行錯誤で乗り切ったときのドーパミン放出は筆舌に尽くしがたいものでしょう。それを発表したとき、評価に繋がればもっと美しく優れたものを作りたくなるでしょう。それが次の作品を作るモチベーションになるでしょう。

 様々な機能を駆使し、環境があれば手描きで修正し、それで作られた作品はまるで AI が作ったものとは思えない破綻を排除したものでしょう。破綻しているものは見るに堪えません。指がイソギンチャクみたいになっていなければ……、身体が伸びていなければ……。わたしもそう思います。その一点が無ければこれ以上無く美しい生成物として発表できるのに。わたしもちちぷい様に投稿する際、そういった理由で投稿を見送ったものは沢山あります。見向きもされないからです。指がイソギンチャクみたいになっていたり、身体が不必要に伸びていたり、腕が三本生えていたり、そういったものたちは評価されるに値しないからです。なぜか。それは一般的な生成者や鑑賞者、評価者たちの評価軸が、

AIで手描きのイラストに負けないものを作り出すこと/手描きのイラストと見紛う生成物を見たいということ

 に主眼を置いているからです。

 AIイラストがもたらした、あと一歩で完璧だったはずの生成物が見るに堪えなく惜しい気持ちからなのか。神絵師への羨望やコンプレックスなのか。世間からなじられた反動なのか。AI はここまで出来る! という技術を知らしめたいがためなのか。イラストを鑑賞する基準が、“見たままの破綻”のみを許容できないぬるま湯のような審美眼の持ち主なのか。井戸端にたむろする批評家気取りなのか。他人の作品にいちゃもんを付けることでしか悦に浸れない暇人なのか。それ以外にも色々とあるかとは思いますが、ともあれ、そういった土場が出来上がってしまっているので、現在は右に倣えで皆さんがそちらを向いているようにわたしには感じられるのです。

 実際はそうではないのかもしれません。わたしの観測範囲は決して広くはありませんし、わたしの観測範囲外にて、まったく新しい表現方法を模索した研究が広く成されているのかもしれません。そういったコミュニティを探すのは容易ではありませんし、個人ともなれば尚更です。ほぼ間違い無く評価とは無縁に活動しているのでしょうし、何とか探し出しても活動を続けられているかは不明です。とにかく風当たりが強い現状と、生成速度に由来するモチベーション維持の難しさは折々に思い返します。

 破綻に美しさを見出したとして、わたしが感じる破綻の美しさと、他の方が感じる破綻の美しさにも差異はあるでしょう。「AIが気まぐれにぶっ壊した生成物をしたり顔で発表して、そんなのより俺の方がもっと酷い破綻を生成したぜ!」と思われているのかもしれません(念のためですが、わたしは「評価をしてくれ」とお願いしているわけではありません)。

 ただ、わたしはこういった AIの特性を活かした方が、よほど健全で面白いものが作れるのではないかと考えています。具体的なビジョンがあるわけではありませんが、そういった可能性の一つとして、『破綻する美術館』という場所を作りました。

 しかし、例えば、既存のイラストレーターさんが製作作業を楽にするために AIイラストの技術を転用するというのは、非常に良い案ですよね。そのための技術蓄積のために行われる AIイラスト生成は、とても健全で実用的です。折角思い付いたアイデアを補強する使い方はとても魅力的です。思い通りの創作を実現するために“新しいツール”を活用し、それが創作の一助となれば、思い煩う事象が減って、より自分のアイデアと密に向き合えるでしょう。

 何が正解なのか、それを導こうとしているわけではありません。

 ただ、もっと面白いことができるのではないかと考えております。

 面白いことをしていきたいなと、考えております。

 面白いことをしているなぁと思ってもらえるように、何らか出来ていければ良いのですが。


・後書き

 いつも以上に益体も無く、思想の強い記事になってしまいました。

 あくまでわたしの考えであり、この考え方が万人受けするものだとは考えておりません。ただ、わたしが「こういう可能性を模索するのも面白いのではないか」と提案するだけのものであり、誰かの活動を阻害するものでも、貶めるものでもないことは留意していただきたいと願います。

 日に日に新しい技術がもたらされ、新しい問題が起きているこの界隈ですが、あらゆるひとにとって、ベターなかたちになれば良いなと願っております。

 以上です。


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