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連続しない変化のこと。

フィクションです。練習的な。






 綺麗な死に顔を晒したいと思っていました。
 別に死にたい訳ではなく、こちらとしては別に500年くらい生きても良いのですが。
 ただどうせ死というのをいつか迎えるならば、綺麗な顔で死にたいと思いました。

 小さい頃、知人の親の葬儀に出ました。
 花を添えた時の、錆びた鉄の様な肌色が、よく出来た蝋人形の様な顔が、記憶に残っています。
 当然目も閉じていて、化粧を施されている顔ですからその下の思いを透かして見るのはどうにも難しいものがありましたが、それでも置かれた遺影の笑顔を見た後にはそれがどうやら最期は人生に満足して逝っていったように思えたのです。

 ただ、何となくそれだけを思いました。

 どうせ死ぬなら、綺麗な顔で。いつそれを考えるようになったのかは最早分からないけれど、ただそれを忘れてしまうくらいにはずっと昔ということは確かです。
 死後硬直と言うのを知った頃、私の興味は専ら夜に突然死した時の寝相に向いていました。胸の前で合掌、気をつけの体勢、顔の横に手を、足を曲げる。毎晩毎晩色んな体勢を試していました。
 もっともそれは、案外長くは続きませんでしたけれども。納得のいく姿勢は見つからず、私も大概飽き性でしたし、それに何より朝起きた時までその体勢の持続していた試しが無かったものでして。死後硬直もそんなに長くは続かないと知ったのも、そのすぐ後のことでした。
 体勢の調整を諦めた後は、顔の練習であるとか色々やっていましたがどれも直ぐに何がいいのかも分からぬままに飽きてやめてしまいました。

 それからの私の一番の関心事と言えば、現世に何を残すか、それからいつどうやって自分が死ぬのかと言ったものになりました。
 綺麗な顔で死ぬにしても、現世の人らが見られるような何かを沢山残しておきたいと考えるのは一般的な現代人の思考としては当然のものでありましょう。死んでしまったとして、その時に自分が惜しまれなければ口惜しいですから、少なくとも何かを成して死にたいと思ったのです。
 本を書いたり、絵を描いたり、それから何かを作ったり、誰かと話したり。形式は問いません。ただ、手の届く物を手の届く限りの力で残していきます。これは来るべき最期までやり続けていこうと言うふうに考えています。いつ来るともしれぬそれの前までに、できる限りのものを揃えられるように。
 それから、いつどう死ぬか。
 病気は厭です。身体を厭って生きていきたいと思います。
 老衰は場所によります。縁側に面した和室の畳の上に置かれた安楽椅子の上で、奥に部屋で孫の遊ぶ声と元気に鳴く蝉の声とを聞きながら死にたいものです。贅沢ですね。
 不慮の事故と言うのも、場所を自分で選べませんから大変ですね。仕事中とかであれば、まぁ自分が張り切っている時の姿という事になりますからまぁいいのかもしれません。
 自分で、と言うのはこれは些か特殊です。
 死に場所は自由に選べますし、時間も選べます。限定的であるとはいえ誰と、と言うのも選べますし、とにかく自由度が高いのです。
 ただ、将来の自分の可能性というのを、自分で吹き消してしまう、そういう難しさがあります。これが難しいのです。出来るだけ残すと言う生き甲斐に矛盾します。なにか完璧なものを残せたら、別やもしれませんが。
 もっとも、私は手の届かない様なものを夢想するのが好きな性分ですからちょっと考えてみることにします。
 最近暑いですから、川などは良いかもしれません。ただ個人的に、川は誰かと一緒が良いですね。それと日本の川は滝と言いますから、せっかく綺麗な顔で逝ってもバラバラになってしまったらしようがありません。別に下流域の子供を吃驚させたいつもりは無いので。
 海はどうでしょうと思いましたが、別にそんなに詳しい訳でもないので、何となくのことしか思い浮かびませんが、ずっと寒いか、ずっと温かい海がいいです。
 鉄道は論外です。国鉄に迷惑はかけられませんから。
 夢想は、好きなんですけれど、苦手ですね。こうプロットも無く綴っているとすぐ疲れて眠りたくなります。

 ただタイミングも大事です。できるだけ長く生きたいとは思いつつ、出来ればベストの時期にちょうどいい感じになってくれないかなと思っています。
 どうか、私のような人間に、人間の顔は生まれてからずっと醜くなっていく一方だなどと教えてはやらないで下さい。
 そうしたなら私は、その日いっぱい最高の笑顔の練習をすることになりますから。

 ひとつ、嘘を吐きました。
 私は、本当に酷い、本当に嫌な、本当に冒涜的な、本当に駄目な奴です。
 こうはなりたくないなと、思ってしまったのです。

 嗚呼。

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