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描くことを描いた前作、描かないことを描いた今作『一線の湖』

『線は、僕を描く』の続編。初めてこの『線は、僕を描く』というタイトルを聞いたとき、「僕は、線を描く」の間違いじゃなくって? と聞き返したのを思い出しました。
そして、読み終わってその意味を知ってそれだけで泣けたのも。
主人公の大学生、青山霜介くんは前作で両親を交通事故で失うという大きな不幸に見舞われています。そんな不幸と喪失感からの恢復を描いたのが前作。

物語は地続きですが、読む方にとっては2年間という時間が過ぎ、彼の不幸の事を忘れかけています。となると、「あぁ、そんな不幸があったのならばこの傷つきかたは仕方がない」という気持ちの方も忘れつつあるのです。だから、前半の登場人物たちの繊細さと傷つきっぷりが歯痒くてならない。
そこはコミュニケーションとってなんとかしろー。とか、寝るときはちゃんと寝て食べるものはちゃんと食べろー とか突っ込みを入れたくなるくらい、いろんな角度からよろめく登場人物ばかりなのですよ。正直読んでいて辛くなるところもありました。

青山君が冒頭にやった失敗がずーっと尾をひいていじこじしている中、これまた降ってわいた不幸の繋がりで小学校の子どもたちに水墨画を教える、という機会を持つことになります。このシーンが本当に良かった。
子どもの成長が描かれたシーンで泣けるようになったのは、親になったからなのかそれとも歳をとったからなのか。それでもこういう風に感動できる器が自分のなかにできたのは嬉しいことだなと思ったのでした。

水墨画のすごさを描かなくては、この本は描けません。物語と水墨画の感動を両方描かないとならないこの物語を、子どもたちの無邪気で瑞々しい完成から組み立てたという感動のシーンでした。
私自身、水墨画というのをしっかり見たこともなくて、本に添えられている絵を見るばかりなのですが、最後まで読み切って改めて水墨画の世界について調べたり絵を見たりしています。
墨で描く部分だけでなく、余白の意味を知った今回の作品でした。前作に続き、読了後に『一線の湖』というタイトルの意味がわかりました。今もそれを反芻しています。

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