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てくりのつくり。

1月15日で、ラヂオもりおかで毎週火曜日放送中の「ほにほにラヂオ」が500回を迎える。

そして、先週から500回記念という言い訳のもと、てくり3人で完結するスイッチインタビュー風「裏話」を3回連続でお届けしています。改めて創刊から14年たったのかと思いつつ、新年だし「てくりのつくり」について、創刊時を振り返ってみようかと。あくまで私個人の視点ですが。

てくりがスタートした時、スタッフは6人だったけれど、家族の転勤とか出産とか皆の諸事情があって、現在は3人で動いている(ほにほにラヂオオープニングの滑らかな声は、育児中の大関さんです)。この3人という人数は(よく取材された時も話すことだけど)、2人が賛成すると1人は止むを得ず後ろからついていくしかないし、1対1で対峙せずに済むので、物事が進む上で都合のいい最小公倍数かな、とも感じている。


そんなことはさておき、創刊号が発行されたのは、2005年5月。皆、仕事の合間に原稿を書いたり取材をしたので、前年の秋から動いてやっとのこと春の発行にこぎつけた。

私自身も、育児中パート勤務の傍ら仕事。盛岡にかつて存在した川沿いのサニーランド蛇の島という遊園地のことを書いてる。今でこそ「子供の遊び場」は多種多様であり、インフラが整備された現代は、千葉にも大阪にも海外にも、金さえありゃビューンと飛んでいける時代だけど、昭和30年代40年代生まれの「昔の子ども」に話を聞くと、サニーランドは彼らの中に夢のパラダイスとして鮮烈な記憶を残していた。そんな盛岡っ子のために遊園地を作った人って?実はすでに経営母体は無くなっており、調べるのが結構大変だった。盛岡タイムスのOB記者にオープン時の話を聞いたあと、きっとオープン記事が図書館にあるだろうと昭和42年の記事を1枚ずつ、めくってめくって探した。それでも古い記事が少なく、マイクロフィルムをまる1日見つけ続けて検索して、見つけたのが本誌に紹介した記事。

実際に見つけた記事と枠広告がいくつかあった中、てくり誌面には上記の記事を掲載した(新聞広告はつまり、広告主に許可取れないため掲載できなかった)。

下記はその一部。

この枠広告。「よいこの夢がいっぱい」という昭和のストレートなコピーと、「ごあいさつ」に記されたわかりやすいメッセージに、どこかジーンとしたのだったなあ。



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