大宮政郎さんからいただく、熱量。 「21世紀はないものを描く、つまり、音楽の生まれたもとの時代に還っていくんです」。

初めて大宮さんの作品を見た時は、わけがわかりませんでした。わからないけれど、心の中にむくむくと何かわきたぎった気がします。「北異のマグマ」の一作に向き合った時、得体の知れない熱量が私に向かって発せられて、しばらくそこから動けなかったし動きたくはなくて。ご本人にお会いしたくて、てくりの「あなここ」取材をオファーした際伺った幼少期からの話は、取材では成人したあたりで時間切れとなったのです。

そこから、改めて時間をつくっていただき、2度ほど八幡平にお邪魔しました。「もう眼が見えなくて」と言いつつも、新作を制作し続ける大宮さんのとんでもなない熱量。伺った話をまとめようと思ったものの、活字にした途端に熱量が冷めてしまい、力不足な自分に愕然としてそのままになっていたのです。やはり、画家である大宮さんの作品を見てこそ、大宮さんの深い深い熱量が感じられるはず、言葉に収めるのは無理なことだという言い訳を作って。そこで、大宮さんの壮大な思考をまとめることは未熟な私にはできかねるのですが、それでもあくまで一ファンとして自分自身が心に留めおきたいと感じた部分を聞き書いた形で一部紹介します(2019年3月に伺った際、何らかの形で紹介することを了解いただき写真も撮影させていただいたものです) 今、2021年4月25日(日)まで岩手県立美術館にて常設展第4期にて大宮政郎さんの作品を特集しています。90歳を超えてなお作品を描き続け、新しいものを探し続ける大宮さんの作品一つひとつからこぼれるエネルギーは、岩手にいる若い人たちにぜひ身体で体感してもらいたい!この方が岩手県で作品を作り続けてきたこと、生み出した作品を私たちはもっと自慢すべきだと、大宮ファンとして強く思います。  


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■考え続けること、の価値。

2019.3月に伺った話からー

(人動説的概念について質問した)。人間は、黙ってじっとして物事を考える、ということが実はないんですね。常に人は動いている。「ならば、それを絵にしたらどうなのか」と思いました。車で移動しても、飛行機に乗っても、いつだって人は動きつつ考える。錯綜しながら動いているわけです。江戸時代のころとは「知覚」そのものが変わってきているんですよ。

(『N39グループ』という美術集団について)美術家の村上義男と、何かやろうという話になってね。お互い、5〜6人ずつ人を集めました。「キャンバスに絵の具で描くのだ、絵ではないものを」という、それだけの前提で始めたのが『N39グループ』です。切ったり貼ったりしてつくる、コラージュ作品も始めましたが、これは、日本でも相当早い方だと思います。大阪などで、その前にアンフォルメル(1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉)という形のないものを描くのが流行ってね。それを見て、『N39グループ』がスタートしたんです。でも、それも10年たらずで解散しました。飽きるというよりも、一つのグループができてそれなりに承認されると、そこに皆、安住するのですよね。だから、やめようと言ったんです、私が……。

■安住は何も生まないのか。

周りからは「惜しい」といわれましたが、グループ展にしか出さなくなっていったんです(辻褄合わせで作品をつくるようになっていった)。つまり、それにさえ出していれば、画家だという感になっていったんですよ。今の時代だと、二科展に出していれば画家という感じだけども、それでは駄目だと思った。命がけで何かを目指してやっていかなくてはならん、と。




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■他のまちに暮らすことは考えなかったのですか?
作品をつくることが大事。どこで発表しようが、つまらないものを出しては駄目ですよ。パリに3年留学したとかそんな経歴があっても、つまらん仕事をしては。いい仕事をすれば、必ずオファーが来る。実際に、東京あたりに行ったほうが「観る」ものはあります。ただ、東京に行っても暮らしていけない。デザインをやりながら絵を描くとか、生易しいことではなかったですよ。

■ロシアに出かけた理由は?
「社会主義」というものを自分の目で見てみたい気持ちもありました。皆、平等で暮らせるって実はいいことかもしれない、見てみたいと思って。そこで、ビザンチンのものに出会って惚れ込んで。それを見たいがため何度も行くうちに、ロシアで展覧会をしないかという話になりました。帰りの飛行機で、ウラジオストクでもこういうことをやりたいという話になってね、また100点ほど集めて展覧会しました。すると評判がよくて5回くらいロシアで(展覧会を)。やりました。結果的に、ウラジオストックに10回くらい通いました。

■描くエネルギーはどこから?

県庁の役人も八百屋さんも毎日がんばっているのと一緒です。今は2~3時間くらいですが、描くのは(この当時88歳)。今、描いているのが50枚ほどあります。
才能ないからかな、もう少しいいものをつくりたい、と思います。常に。
私自身は、そこに在るモノは描かない。それは写真に任せます。世の中にないものを描く。芸術っていうのは「ないモノが出発点」なんですよ、音楽だってね、ベートーベンもモーツアルトも、「聞こえないものを聞こえるように」変換している。モーツアルトの前には音楽がなかったんです。絵描きだけ、そこに在るモノを描いて上手だなあ、なんて言われて。それを金を出して買う人もいるんだから、甘やかされているわけです。小説もありそうで、ないものでしょう。人間の歴史は、発明の歴史。これ(マグカップ)だって、人間がつくったものの積み重ね。1000年前の恩恵で生きているんです。だったら、先輩に感謝しなくちゃ、洋服をつくった人、とかね。
私は絵描きだから、絵を描いて恩返しするしかない。
人の真似をしてはいけない、独自のものをつくったときこそ、受け継がれていくんです。19世紀まではキレイなモノを描く時代が500年も続いた20世紀でもう完結したけれど、21世紀はないものを描く、つまり、音楽の生まれたもとの時代に還っていく。たったひとつぶ、小豆のようなものでも。「独自」を残して死ねたらと。
それを料理するには、そのためには材料が必要なんです。今の若い人は料理ばかりしようとしてね、材料をつくろうとしない。

■どうして、ここにいるのでしょうか?
死ねないでしまったからね。もっと早く死ぬだろうと思ったけれど、なぜか死ねなかった。(子供の頃、病気がちだった。その後も死ぬかもしれないことがありながら、誰かが身代わりになり、生き残ってきたというエピソードをいくつかお話してくれた。それは、2019年8月「石神の丘美術館」作品にも表現されていました)

■デザインの仕事もされた?
90パーセントデザインを仕事とした時代もあったが、最終的には絵を描くため、飯をくうための糧として、デザインをやっていました。東京にも出て、いろいろ見ながら、誰もやっていないことをと。ちょっと違うことをやったほうが見てもらいやすいし、大体、絵の評価なんてわからないんですよね。似たようなものをやるほうが有名になりやすいし、見てもらいやすいんです。大体、皆、評価なんか絵はわからない。

■一般的に知られたモノは、大衆に受け入れられやすい?

世の中の人は在るものからしか、発想できないわけです。絵描きはないものから発想するんだけど。こういうデザインにすると、いいなとか、どこにもないから、じゃあ、ないってことは新しいこと、よいことだと理屈をつける。評論家を納得させる形にすべきでもあるし、なるべく、発想もただ絵を描いていて新しいもの、というか「絵」からは発想しない。深澤さん、舟越さんの絵がいいからとそれをアレンジすることは、もう負けていることです。

■2018年に発表したアナザーストーリーの着想について(展示会前の話)
穴という発想は、ふと思いついたもの。今は、「アナザーストーリー」を創りあげています。世の中は、地上に出っ張ったモノばかりかかれているが、ひっこんだものは描かれなかった。ここに来てから、雪がふかく凍るんですが、そこに温泉の湯があまだれて氷に穴があくんです。それを見て、写真にとって、そこからの発想で。おもしろいんじゃないかとか。宮沢賢治は、銀河鉄道が天空を飛ぶのが銀河鉄道だといったが、私は地下鉄銀河鉄道、穴の中の銀河鉄道を考えたらどうかと。よのなかには、いいキャッチフレーズは絶対必要なんです。ふつうの人は、穴というより、アナザーストーリーといわれたほうがおもしろがりますからね。

■アイデアはどうやって生むのですか。

ふだんから、落書きのように、紙にかきとめる。なんとなく、テレビみながらラジオ聞きながら、とか。前にかいたものがふとイメージにつながることがある。あのときだめだったのが、あれ、これって?みたいな。手は意識的にうごかします。案外、絵描きは描かなきゃ描かなくってもすむんですが。まるでもさんかくでもいいから、とにかく描くことが大事。スーパーのチラシの裏でもいいから、とにかく。

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