三月十日
(この記事は三月十日に書いたものなのですが、訳あって今までお蔵入りしていました。三月を思い出して読んでくださると幸いです。)
いつの間にか春が来ていた。
先月からほとんど引きこもりの生活を送り、特にここ二週間ほどは一切外に出ず暮らしていた。
生活習慣もありえないほど狂い、午後4時半に予約していた病院を寝坊ですっぽかす始末。
なんとか予約を取り直して、今日は病院に行くべく外に出た。
なんと過ごしやすいのだろう!!
三月だしきっと春が来てるだろうな、とは思っていたが、本当に来ている。厳密にはまだ春が来たというほど暖かくはないが、まだ寒い二月に駅のホームで震えながら、早く帰りたい早く帰りたいと念じて電車を待つ時間がまだ印象に強く残っていた私には、十分に春の足音が感じられた。
雨なのが少し残念だと思った。けれど、強い日差しに灼かれるよりはよかったかもしれない。雲ひとつない青空も大好きだが、この柔らかい風には曇り空のグレーが似合っている気がした。
それにしてもずっと外にいたいくらい気持ちいい。少しだけ冷たい、でも決して厳しくない柔らかい風が重苦しく淀んでいた私の心を洗っていく。
淀んでいた自覚はあった。なにもストレスのかかることをしていないはずなのになんとなくのしかかる停滞。やりたいこともやるべきだと感じていたことも全てする気が起きず、これが贅沢なのだと言い聞かせながら確かに私は苦しんでいたのだと今ならわかる。久しぶりに気力の沸き上がる感覚があった。
今は長期休みで、バイトもコロナウイルスで無くなっていくらでものんびりできる。しかし、いつもは週五で朝から外出し、夜までいろいろなことをしなければならない。それは社会では当たり前なことだが、私には難しく、援助を受けて無理をして、なんとかギリギリ合格を勝ち取ろうと必死だ。それで疲れ果て、休みたいと強く願う。それに引っ張られすぎて少し休みすぎた。やはりたまには外に出て風を感じなくてはいけないと思い知った。外に出ない方がうまくいく人間もいるだろうが、少なくとも私はそういう人間ではなかったのだ。
止まっていると少し寒いが、歩いているとちょうど良い。久しぶりにちゃんとしたご飯を食べて、今日は歩いて帰ろう。
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