休みの大半

3連休というものが年に何回かあって
その日は仕事も休みで
子供たちの学校も休みで
せっかくの休みだから何かしなきゃと
なんか焦ってどこかにいこうかとか
普段できない家の掃除とかしようとか
大きくなりすぎた庭木をきろうかとか
せわせわしてしまう

結局はだらだら過ごして
せっかくの休みを無駄にすごしてしまうことが大半だけど
別に休みだからいいのだけど

休みだから普段できないことをやろうとするのは
普段という日は何かに支配されて自由ではないという裏返しで
それは大半は仕事であるのだけど

だからといって支配されて自由を奪われていることに
すごくネガティブかというとそうでもなくて
たまのやりがいに
たまの仲間感に
たまの感謝に
よくわからない充足感を感じたりしている

たぶんその充足感が曲者なのだろう
その曲者に勘違いをさせられてしまう
いやしかし、それは曲者だから
ちょっと太刀打ちするのはむつかしそうだ
人生の大半は曲者に翻弄されるのだろう

さて、今日は3連休の最終日
妻と娘(姉)は用事で出かけ
残された僕と娘(妹)は
遊具がたくさんある公園にいき
お昼は木陰でサンドイッチを食べた

3連休だからそうしたのか
そうしたかったからそうしたのかわからないが
たのしかったし、娘もたのしんでいた
けど、上靴を洗うのをわすれた


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