ガメザ ep.0-2

何気ない日常の中に幸せを見出すコツは、大きな幸せを望むことではなく、小さな幸せを拾い集めて行くことだ。
しかし何てことだろう、今日はいい日になる。とても。












「うん、難しいのは追々覚えるとして、見込み通り元気がいいのはいい事だ。取り敢えずは採用かな、来週からよろしくね。」
「マジすか!?ありがとうございます!こちらこそよろしくお願いします!」

本来ならば声を抑えなければならない小さな会議室に、驚きと欣喜、少しの粗野を含んだ声が響いてしまった。
翡翠色の狐の前に座る3人の内、右側の眼鏡をかけた背の低い男がコソコソと中央の男に語りかける。

「部長、本当によろしいんですか?こんな学も教養も無いような奴を入れて...失礼を承知で申し上げますが、繁忙期で人手が足りないとはいえ、私達は公務員ですよ?」
「ん〜いいんじゃないかな、橋本君の言う通り今はとにかくマンパワーが欲しい。選り好みしてる場合じゃないんだ、わかってくれ。」

間に割って入るように左側の女が口を開いた。

「そうですよ橋本課長!いつもネチネチネチネチ文句ばっかり、少しはこっちの身にもなって下さい!それに教える側が完璧なら下はどうにでもなります。それともアレですか、川崎部長のご判断に不満でもあるんですか?」
「そうは言ってないだろう!それになんだその口の聞き方は!?三河!ちょーっと現場で活躍してるからと調子に乗る...」
「まぁまぁ2人とも、そういうのは飲みの席で頼むよ。」

中央に座る糸目の男がニコニコと仲裁に入り、続ける。

「今日は採用試験の最終日だ、公募情報にも記載したとおり、この1週間で採用した新人達とで懇親会をする。都合は空けて来て貰えているかな?」
「もちろんっす!自分の金じゃないんでめちゃくちゃ食いますよ!」
「アハハ、若いね〜元気なのはいい事だ。その調子でこれからも頼むよ。それじゃあ3時間後、すぐそこの商店街を抜けた先の居酒屋の前で現地集合ね。」
「ハイっす!」

元気よく返し、時間まで暇つぶしに一旦家に帰る為、その場を後にする。

「ヨッシャ...バイトしながらここまでクソ真面目に食いつないで来て、やっと...やっとだ..."あの人"の近くに行けるかもしれねぇんだ...絶対モノにすっぞ...!」

5ヶ月前のあの日、自分が守ろうとした命だけでなく、自分の命すらをも救い、凄まじい力―業―を見せた"彼女"を追いかけて来た。
しかし、自分の持ち合わせている知識ではあの腕章の文字は読めず、「役所の様な機関の者」としか理解出来なかった。
そこで、役所のイメージから真面目に生きる事で"彼女"に少しでも近付けると思ったガメザは、僅からながらも社会での生き方を心得てはいたが、それ以上の学が無かった為に、今まで盗みや街のゴロツキとの喧嘩で得た僅かな糧を得る事でしか生きてこなかったが、それらをやめて地道に生きて行く事にした。
そして、今日ようやくその第一歩として、役所の就職が決まったのだった。

「...オイ、つけてんのバレてんぞ。」

家を目前に背後の"何か"に気付き、背を向けたまま問いかける。

「...」
「何の用か知らねぇけど、今面倒事はゴメンなんだ。ちょっかい出すってんならぶっ殺すぞ。」

そう言うと、背中越しに伝わる気配がスゥーっと消えた。

「ったく、何だったんだ今のは?まぁ害が無ぇならいっか。それよか、ガラでもねぇのにあの空間に居たせいで頭痛てぇ...ちっと寝てから行くか。」
(バタン)








(ザザ)
「...です。...はい...ええ...尾行は気付かれてしまいましたが、こちらの顔は割れていません。...そうですね、少々粗暴ではありますが見込みはあるかと。...はい、それではまた後ほど。」
(ザザ)








「あぁ...痛ってぇ...全然治ってねぇじゃねぇかよ...あ〜ダリぃ...行くのやめy...いやいやダメだダメだ、起きろ俺!タダ飯が待ってる!」

重い頭をよそに、頬を叩き目を覚ます。
起き上がるとそのまま扉を開けて外へ出て、辺りに意識を向ける。どうやら先程の"何か"は居ない事を確認すると、少し急ぎ足で待ち合わせの居酒屋へと向かった。







糸目の男が見えたところであちらもこちらに気付いたようで、声をかけられた。

「お、来たね。それじゃあ入ろうか。」

店内は少し狭いがごく普通の居酒屋で、週末というのもあってか店内はほぼ満席で、入り口から右側に予約が取ってあるのだろうか、テーブル席だけ空きがあった。どうやらそこが懇親会の為に取っていた場所の様で、店員の案内でそれぞれが席に着く。
今日の面接で目の前にいた3人の上司の内、一番偉いであろう細目の男が始まりの挨拶をサッと済ませ、懇親会が始まった。しばらくすると料理が運ばれて来て、それを皆で取分けながら食べていると、新人達の軽い自己紹介タイムが始まったが、そんなものに耳を貸すまいと食べる手を止めないガメザ。意識を食べ物に集中しすぎたせいか、言葉をまとめる前に自分の番が来てしまっていた。

「ほら、次は君の番だよ。サッとでいいから自己紹介を…」
「ガメザって言います!食べる事と酒飲む事が好きです!」

上司の言葉を遮るように、比喩でも何でもなく本当に簡潔に済ませて再び食事に戻る。その場の全員が少し引きつった笑いを零す。

「アッハッハ!本当に元気がいいな君は~!さっきも言ったけど、今は忙しくて皆の気が張ってしまっている様にも見える…そんな中に君の様に場を和ます存在がいるのは助かるよ。少々言動が荒いところはあるけどね。」

クスっと笑いながら言うと、場の緊張が少し緩んだ。その後も団欒は続き、黙々と食べ続けるガメザの隣に細目の男が座って話掛けてきた。

「いや~よく食べるねホント。」
「あ、すんません…なんか今日は無性に腹減ってて…」
「あ~いいんだいいんだ、何も責めてるわけじゃないよ。疲弊してるときは休むか他から元気をもらった方が効く、でも今は休んでられない。ともすれば、君がいてくれるだけで助かるものだって言いたかったんだ。それに今日の疲れの大部分は私達のせいだろう、存分に食べて飲んでくれて構わないよ。」
「?よくわかんねっすけど…うっす。」

出てくる料理と酒を止まることなく口に運ぶガメザをよそに、余程気に入ったのかその後も話は続く。

「そうだ、さっき酒も好きって言ってたよね?実はこの近くにぼんふりって酒屋があるんだけどさ、この後飲み直ししない?」
「いいっすね!行きます行きまs…」
「痛っ!」

二つ返事で返していると、後ろの同僚が蟹の殻をハサミではなく手で開こうとしたのだろう。指を切ってしまった様だ。

「うっ…」
「ん?どうしたんだい?」

後ろの同僚の声に振り向き、視界に入った血とその匂いが感覚を瞬時に鈍らせ、同時に先鋭化させた。元よりそこまで元気ではなかった顔色が、見る見るうちに悪くなっていく。

「あ~あ~、見栄張るからだぞ全く。」
「はは、すいません。」
「おい三河、絆創膏持ってないか?」
「あーはいはいちょっと待ってくださいね。」

騒ぐほどでもないが後々笑い話くらいにはなるだろう小さな出来事だったが、今日は、環境が、状況が、そうはさせてくれなかった。
ガメザの体の中から駆り立てる何かが湧き上がってくる。この感覚は知っている…今すぐここを離れなければ。

「すいません…ちょっと気分悪いんで先帰らせてもらいます。」
「あ、おい、ちょっと!」

顔も見ずに立ち去ろうとするガメザの腕を掴み、少々強引に椅子に座り直させる。心配からなのだろうか、具合が悪いならと目の前の男は電話でタクシーを呼んでいる。

嗚呼、さっきの勢いのまま店を出ていれば間に合ったかもしれないのに。

ガメザは後方に上半身を捻り半円を描きながら、先程の指を切った同僚に飛び掛かった。

(ガシャン)
「うわぁ!!!」

飛び掛かった勢いで同僚は押し倒され、周りのテーブルも倒れ、皿と料理が床に飛散する。

「おいおい!一体なんだってんだ!」
「キャーーー!」
「ちょっと君!何してるんだ!」

突然の出来事に周囲は驚愕し、それぞれが悲鳴や理解できない状況に声を上げる。
押し倒された同僚だけは目の前の殺意に似た様な、”捕食される”という明確な命のやり取りがこれから起こることを悟り、すかさず周囲に助けを求める。

「う、うわ!!やめてくれ!なんなんだいきなり!誰か助けt」

そんな咄嗟の声に誰も反応出来るはずもなく、喉元に大きく開けた口から覗く、鋭い幾本の牙が当てられそうになった瞬間、白髪の天使が人ごみの足元を縫ってガメザに近づき、カチャンと警棒を伸ばしながらすくい上げるように下から振りかぶった。

「っうぐぁ!!!」

警棒はガメザの左脇腹に入り、吹き飛ぶ程ではなかったがよろけさせ、どかすことは出来た。白髪の天使は床に倒れている男に声をかける。

「君、怪我は無いかい?」
「は、はい…ありがとうございます。あの、一体何が…」
「そうか、ならいい。申し訳ないが説明は出来ないんだ、怪我が無かったとは言え巻き込んでしまってすまないね。」
「は、はぁ…」

殴打を受けて意識が戻ったのか、2人が会話をしている内にガメザはすぐさま起き上がり慌てて店の外へ出て行った。

「おっと、逃げられてしまう。それじゃ私はこれで。」

男にそう告げるとガメザの後を追うように店を出て行ってしまった。







(ザザ)
「…はい、軌ヶ谷です。…え?追跡はもういい?…直接向かわれると?…はい…ええ…まぁそういう命令なら従うまでですが、想定より素早くパワーもあります。どうぞお気を付けて。」
(ザザ)









「ハァ…ハァ…クソッ、やっちまった…ハァ…なんだってこんな時に…」
「お、いたいた。さっきは驚いたよ~気分はどうだい?」

日が沈み、薄暗くなったビルとビルの間の細い路地に逃げ込んだガメザの元に現れたのは糸目の男だった。

「ハ、ハァ!?なんでここが…!?あ、いや、そんなことより、今の俺に近づいちゃダメだ!!!俺はクビでもなんでもいいから、早くどっかに行ってくれ!!!」
「大丈夫さ、君をクビになんてしたりしないよ。」

男はにこやかに微笑みながら近づいてくる。

「本当にダメなんだ…これ以上は…もう…くないんだ…」

蹲り、自分の両肩を掴み、自分を押し殺し、耐えながら必死に伝えようとする。しかし、男は歩む足を止めずに近づいてくる。

「それでいいんだよ。君は、自分の好きな様に生きていいんだ。我慢なんて体に毒だよ。でもちょっと計算外が起きちゃってね、彼らがいるとは思わなかったけど、最終的な計画の結果にはさほど影響しない…いやむしろもっと好転すると思って今さっき予定を変更したんだ。思い付きでね、フフ。だからここでやっちゃおうかなって。」
「何…言って…」
「さぁ!我慢せずに食べていいんだよ!おいで!」

満面の笑みを浮かべながら、自らの腹部をどこからか取り出したナイフで掻っ切り、両手を広げた。









小さくすすり泣きながら、血濡れた翡翠色の髪が月明かりで暗く照らされる。
顔を上げると、灰色の猫が路地の入口に立っていた。

「おいボーパル、これはどういう事だ。私が来るまでの間に何があった?」
『それが”わからない”んですよ~!目を離してたとかじゃなくて、ログにも何も残ってないんです~!気付いたらそんな有り様で…』
「ふむ…益々きな臭いな…」

さて、と一言置いて、灰色の猫は近づき膝をついて語り掛ける。

「君がガメザ君だな?迎えに来た、一緒に来てくれ。」
「で、でも…俺は…また人を…こんなハズじゃ…うっ…」
「大丈夫だ、安心しろ。我々は君の”ソレ”を御する事が出来る可能性も見つけているし、君の”大切なもの”を守る力もある。」
「!?…まさかあの人は生きて…!?それにその可能性ってのも…アンタは一体…」
「ああ、生きているとも。本人は知らないが、我々の保護観察下でな。」
「そっか…ハハ…良かった…」

思わぬ一報を聞き、自責の涙は歓喜に変わり、血みどろの手で拭って顔を上げ直す。

「それで、返事は?」
「そんなのハナから決まってる様なもんじゃねぇか…もちろん行くに決まってらァ。でも、俺は役所の仕事なんざ雑用ぐらいしか出来ねぇぞ?」
「フフ、まぁそのつもりで口説きに来たからな。それは心配ない、君にうってつけの仕事はある。」
「っへ…こんな有り様見ても驚きもせずに近づいてきた辺りからヤベーやつだと思ってたけど、ますますヤベー所だな”ソコ”は。」
「酷い言い様だな、これから同じ場所で働くんだ。少しは直した方がいいと思うぞ。」


そう言うと、腰を上げて手を差し伸べて続ける。


「我々は環境課、共に良い環境を作りましょう。」

https://twitter.com/mizugameza2201/status/1144289853766434817?s=20

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