ため息俳句番外#7 下仁田行
群馬県の下仁田まで出かけてみた。
上信電鉄で終点まで行ってみたいとかねがね思っていた。
このところちょと、抑うつ的?そんな自覚症状があったので、気分転換である。高崎で乗り換え、上信電鉄のフリー切符を購入した。
どこへ行くと当てがあるわけでないので、とりあえず上州富岡で下車。街中をぶらぶら歩いて、工女のお墓を訪ねてきた。富岡製糸場は、世界遺産に指定されてから、以前にもましてこの街は観光の町になったようだ。指定以前にも、指定後も、富岡製糸場の見学はしていたので、今回はパス。工女と云えば、自分のイメージでは、山本茂美の「あゝ野麦峠」の政井みねさんであって、全国各地から選抜されるかのように集まったという誇り高い富岡の女工さんのほうが、返ってピンとこない。
富岡製糸場は、近代工業国家日本の原点であるとともに、労働環境が整備された近代的な工場制度の出発点として、工女たちの労働環境はずば抜けて恵まれていた。・・・・、そういう感じで富岡製糸場は、日本近代史では称揚されている。
そうあるからか、龍光寺の工女の墓はけっして粗末なものでなくて、逝去の年月日・出身地・そして出自として士族の子女であったと幾つかの墓石から読みとれた。13歳から25歳までの募集であったそうだから、若くして亡くなったとしたら、20歳に満たずに亡くなった人もいただろう、いくら志高くここに集ってきたとはいえ、痛ましいことである。
それにつけても、政井みねさんと同じく、劣悪な労働環境にいた多くの貧しい農家出身の「糸引き工女」さんたちが、日本の近代産業に貢献したことも、日本の生糸生産の歴史として、世界遺産の歴史を語る中のどこか一部として触れるのが当然だと思うのだった。
富岡街歩きは、ほぼ1時間半、製糸場近くで、「昔なつかしい志那そば」が昼飯。この店その当時工女さんが団子を食べたというが、残念なことに団子は品切れであった。中華そばは、昔懐かしいはずであったが、自分の知る昔とは大分食い違っていた。昔と云っても、いろいろなのだろう。
駅へ戻ると、下仁田行きは30分後、駅へ戻る道々「おにぎり」ののぼりに誘われて、軒の低い地味なお店で、じゃこのお握りと鮭のお握りを購入、待合室で食べた、まこと美味しかった。食べ過ぎであるなあ。
下仁田に着くと、駅周辺を徘徊した、生憎火曜日は商店のほとんどが定休日で、すこしがっかりした。いわゆる昭和の味わいのある露地や店構えに懐かしさを誘われたというべきであろうが、実は時間が止まっている、そのような印象を受ける町は、全国至る所にある。
それだけのことだ。ここは、下仁田ネギで有名、そのネギ苗を売っていて、非常に欲しかったのだが、ローカル電車での小さな旅につき、断念。名物のかつ丼とこんにゃく料理、ともに定休日であった、無念。ほぼ一時間で、上り高崎行きへ乗車。
さて、上信電鉄。これが、いい。どこがいいか、書くのが面倒なので、おしまい。また、今度。
ただ、この駅名のみあげよう、好きだ。
次回は、高崎発のJR八高線に乗って、寄居下車、秩父線で戻るというルートにする。