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ため息俳句 てぶくろ

 手袋ならば何度買ったか分からないほど紛失した、ところが不思議にこの手袋だけはいつまでもなくさずにある。ずうっと昔、雪の多い北の方へ旅に出るときに買ったものだが、それが何時であったか記憶をたどっても霧の中だ。
 厚手の毛糸の手袋である。手袋をはめて鼻先を蔽うと、枯れ草のように匂う。多分それは、「俺の匂い」だ。

 さて、ここまで書いて、新美南吉の「手袋を買いに」を読み返したくなった。
 登場する狐の親子も、帽子屋も、人間の母子も、みんながやさしい。人は本来疑わしいものであるが、こちらが正直ならば、うらぎることはないのだと、読む人の心を温めてくれる。
 新美南吉は、宮澤賢治に影響を受けたというが、宮澤賢治の根底にある薄暗さがないというのが、自分の見方である。
 こういう世知辛い世の中では心がかさつく、南吉を時々思い出すのもよいものだ。
 とはいえ、この人は人を疑うことのないただのお人好しだと思ってはいけない。例えば青空文庫で読める「屁」という作品では、厳しいものだ。

 さて、また脱線した。
 てぶくろのことだ。

 

てぶくろの手をストーブであっためる

てぶくろを編めないかあさん宵っ張り

古てぶくろ捨てたなら両手淋しかろ