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ため息俳句 襖の張替

 ふすまの張替をしている。2015年の十二月に一度試みている。その時に疲れ果てて放置してしまった一カ所が年々劣化してゆくのを横目に、もうあんな苦労の多い作業はご免だと放置しきたのだが、さすがの惨状に遂に手を出してしまった。
 これが、なかなか素人には高度な作業を要求する。今度もYouTubeで、襖張りの動画を入念に見て、取り掛かることとした。発信者は大体プロの職人さんで、素人にも出来ます風な解説をなさるが、襖に比べれば、障子なんて物は、チョチョイノチョイであって、襖はとてもムズカシイ。
 我が家は昭和の家であるので襖は、この頃の新しい家の襖にはあまり使われないという本襖ほんぶすまとばれる昔ながらのものだ。

 まず、日に焼けて簡単に破けてしまう三層に重ねてある古い襖の表紙をはがす。三層の下二枚は下貼りである。それらも新しく張り替えるのというわけだ。襖には裏表がある、両面ともに張替であるから手間は二度づつになる。ところで、張ると云っても、全面にのりをつけてべったりと貼ってしまう、これではダメで、「張る」は「貼る」ではないのだと、ユーチューバーの職人さんに教えてもらった。
 表面の襖紙を剥がす、と、次に薄い下張りが出てくる、それを茶ちり紙という。更にその下、骨組みには厚手の紙が貼られている、それも片面には濃い紫色がのっている。今回はそこは古いままに保存して利用した。
 自分の作業は、その中間の薄手の茶ちりの張り替えから初めて、表面になる襖紙を新調するのである。これをほぼ手探りで進めている。今日で、三日目、・・・・・、疲れる。
 襖には枠取りがある。その枠をはずして張るので、はずした枠を元通りにはめ込むことができるかも、とっても心配、紙を貼るより、その方が本日の最大の不安が、本日苦労してなんとかクリアーできた。
 だが、取り付けてはいない。うまく建具としてはまってくれるか、・・・。

 さて、書棚か物置のどこかに、多分、あれが掲載された雑誌「面白半分」が紛れ込んでいるはず、どこへいっただろうかと、・・・・思い出された。

 「あれ」とは「四畳半襖の下張」のことだ。175条における「わいせつ文書」にあたるとされた。1972年野坂昭如が編集長を務めた雑誌「面白半分」が伝永井荷風作の「四畳半襖の下張」を掲載した。刊行の17日後警視庁の公安一課がわいせつ文書として全国の書店の店頭から回収し、編集長の野坂と発行人はわいせつ文書の販売で起訴されたのである。
 そうしてあの有名な「四畳半襖の下張」裁判へ、野坂らは裁判へ持ち込んだのであった。特別弁護人は丸谷才一であった。結果は、一審二審とも野坂らの敗訴、最高裁でも棄却されて、有罪が確定した。
 自分は、書店からその掲載雑誌が消える以前に、「これはこれは」と購入しておいたのだった。

 「四畳半襖の下張」の冒頭は、こんなである。

 今年曝書の折ふと廃塵の中に二三の奮稟を見出したれば暑をわすれんとて浄書せしついでにこの襖の下張と名づけし淫文一篇もまたうつし直して老の寝覚のわらひ草とはなすになん

        大地震のてうど一年目に当らむと
        する日金阜山人あざぶにて識るす

 さるところに久しく売家の札斜に張りたる待合。固より横町なれども、其後往来の片側取ひろげになりて、表通の見ゆるやうになりしかば、待合家業当節の御規則にて、代がかはれば二度御許可になるまじとの噂に、普請は申分なき家なれど、買手なかなかつかざりしを、こゝに金阜山人といふ馬鹿の親玉、通りがゝりに何心もなく内をのぞき、家づくり小庭の様子一目見るなり無暗とほれ込み、早速買取りこゝかしこ手を入れる折から、母家から濡縁つたひの四畳半、その襖の下張何やら一面にこまかく書つゞる文反古、いかなる写本のきれはしならんと、かゝることには目さとき山人、経師屋が水刷毛奪ひ取つて一枚一枚剥しながら読みゆくに、これやそも誰が筆のたはむれぞや。

 さて、我が家の襖には、そんな楽しみはどこにも隠されいない。ありきたりの茶色の薄紙が貼られていただけである。
 つまらない。
 それもちり紙と呼ぶ。大体、ちり紙というのは、便所で尻を拭く落とし紙のことだとずっと思っていたが、こんなところでもちり紙と出会った。落とし紙とは大分違う感じもあるが、薄くてやわらかだから、やっぱり似ているか。
  三層の一番下の紙は張り替えせずにおいたが、穴が所どころに空いていた。ふと思い立って新聞紙で塞いだ。数日前の朝日新聞だ、自民派閥の裏金問題の記事を切り抜いて貼った。しかし、この襖が再び貼り替えられたとして、そんな古新聞に目をとめるはずもないのだが。

 垣根の山茶花が咲きそろった。

 

手をとめて赤色山茶花せきしょくさざんか襖張り