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ため息俳句番外#23 水

午後2時、思い立って隣町の図書館へ行くことにした。
車の車外温度、44度。庭先屋根なしの駐車場であるから炎天に曝されているのだから、そんな温度もさもありなんと、気に止めず出発した。
図書館について、少しの調べ物をして、それから、「蕪村全集」の書簡の巻を借り出した。そこで、来る途中で今日はこの町の夏祭り当日であると知ったので、ちょっ雰囲気でも見ておこうと、愚かにも思った。午後三時を少し回った頃だ。
図書館から、交通規制が行われて、古い云い方だが「ホコ天」のお祭り会場まで、徒歩約10分。
それだけで、猛烈に喉が渇いた。乾いたどこころかジリジリと照りつける歩道上で、喉が渇きすぎてひりひりし始めた。
水が欲しい。辺りを見廻すに、自動販売機が視界に認識されない。「水」がない。
仕方ないので、駅前方向へ歩き始めた。
まだまだ、祭りの準備中のようであった。お祭りにつきものの露店がない、水が無い。人々は、生き生きと動き回っている、その様子が遠くのように感じる。


お祭りエリアの真ん中の交差点まで来ると、先ず右手15メートル前方に自販機発見、・・・右折突進、・・・が、硬貨の投入口がガムテで塞いである。なんと!あり得べきことかと、頭がふらついた。
仕方なく、再度駅前を目指そうと戻りかけた所、交差点を越えて進行方向20メートル、自販機発見。立派な店構えの店先に設置されている。
到着・・・・と、今度は、自販機は確かに稼働しているのだが、価格設定がべらぼうだ、通常110円のあのペットボトルの水が、なんと150円、これは陰謀だ、・・・、喉は必死に水を要求しているのだが、根からの貧乏性、ぐっと思いとどまって、そのまま歩き始めた。暴利をむさぼる奴らの餌食になんかなるものかと、商人の「正義」はどこに行った。こういうことは、断じてゆるがせにはできないのだ。
そこで、また歩く。なんとなく身体が宙に浮くような感じがし始めた。
ふと、喫茶店がこの先にある事を思い出した。
歩いた、・・・喫茶店の前まで来た、そこで又やっかいな別の自分が出しゃばってきた。「俺が欲しいのは、水だ、コーヒーでは無い。喫茶店で水ばかりがぶがぶ飲めるはずが無いではないか、水のおかわりだって、限度がある」と屁理屈を言う。
で、それはそうだがと、ぐずぐずしている内に、勝手に歩行は続いていて、何故か、喫茶店をスルー。
それから、やっぱり駅前だと、初心を思い出したのだが、その時になって、なんとも遠回りしていることに気づいた。後悔した、慚愧の念も湧いてきた。
もう、主観的身体認識では、脱水症状態である。それなのに、なんで喫茶店に入らなかったと、合理的な自分がもそもそ言っている。
なるべく日陰を選んだが、極暑、露出部分肌は心なし赤く腫れているようだ。
すると、ビルの谷間の駐車場脇に、ひっそりと自販機発見。
『水』も適正価格、即、購入。天は未だ我を見捨ててはおられなかった、ありがたしと、感謝した。
飲んだ。
一気に飲んだ。
むせた。
歩道の並木の蔭に立ち尽くした。5分、10分ほど、そのままでいたが、駅前はもう目前、あそこのマクドナルドで涼もうと、ぼんやり思った。思えば、歩き出す。
店について、120円のアイスコーヒーsサイズを入手して、なんとなくこそこそした感じで窓際の席についた。
それから、20分、ようやく人心地がついたのであった。
祭りどころでなかった。
もうひとつのところで、炎熱の路上に白髪頭の倒れておりましたと、云うところであった。

そういうわけで、似非俳句もなし。