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ため息俳句番外#48 川

 一昨日からのニュースでは、最上川でも氾濫があったと報じられた。さらにこれから数日、山形県、秋田県を中心に周辺の地域について厳重警戒が必要だという。
 関東でも、ゲリラ豪雨、突風、竜巻・・・。
 かつてないとか、10年、20年、50年、100年に一度とかの「記録的」、あるいは「命を守る行動を」とか、天候異変はこの国で生きるというより、地球上に生存するすべてのものの最大の脅威である。

 『曾良旅日記』によれば、芭蕉は元禄二年1689年5月28日に大石田の高野平右衛門(俳号・一栄)宅に至り、三泊する。
 ここで、最上川下りの船日和を待って滞在した。陰暦5月28日は、陽暦に直すと7月14日である。この間「わりなき一巻」を残した。
 『曾良旅日記』では、

 大石田高野平右衛門ニテ
五月雨を集て涼し最上川  芭蕉
岸にほたるをつなぐ舟枕  一栄
瓜畠いさよふ空に影待て  ソラ
里をむかいひに桑の細道  川水 

 これを始めとした歌仙であるが、芭蕉の真蹟も残されているそうだ。
 この歌仙は、一栄宅で興行されたのであるが、この一栄の家の裏手は堤防を間に最上川を臨むのだそうだ。一栄は船宿を生業としていたのだそうだ。
 ともあれ、「五月雨を集て涼し最上川」とまず芭蕉が詠んだのは、礼儀というものだろう。
 
 しかし、自分らが聞きなれた『奥の細道』の句は、

さみだれをあつめて早し最上川 (奥の細道)

 こちらのほうが、陰暦5月の晦日あたりの気候をよく反映しているだろう。
 「涼し」が「早し」と変わるのは最上川の流れを芭蕉が実際に感じたからだというのは誰だって想像できる。
 芭蕉は、陰暦6月朔日、最上川を船で下る。そこで、「水みなぎつて船あやふし」という体験をする。この川が五月雨の後は「集めて涼し」という生易しさではなく、増水した濁流はまさしく「集めて早し」であって、実感であったのだろう。
 芭蕉は、俳諧宗匠になる以前、神田上水の老朽化にともなう修理工事を請け負った人だといわれる。彼には、水路に関する知識があった。そうれあれば、五月雨に増水する川の貌をそのように見たかも知れない。 
 とはいえ、「涼し」も「早し」も、最上川のひとつひとつの貌である。
 
 もとより『奥の細道』は歌枕を訪ねて行った旅である。最上川も歌枕である。中でもこの歌が知られている。

最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり

 『古今集』の東歌である。「川を上り下る稲舟」であるから、この歌はから古くから流域の経済を支える需要な水運の川であったのだとわかる。
 この歌は、「いな」を「否」に掛けて恋の歌と解されている。
 《最上川を上り下りする稲を運ぶ舟の名のように、「いな(いいえ)というわけではありません、「ただ今月だけは」というのです。》そんな歌意である。意とするところは、大人ならわかろう。
 ともあれ、この歌からうける最上川の印象は、おおらかでおだやかな大河である。
 
 ともあれ、最上川のみでない、名も無いような小川でさえあふれ出れば、人の命を脅かすことなどしばしばである。川は、本当にいろいろな貌をもつものだ。

 災害を受けた人々が、これ以上苦境に追いやれらることのないように祈る。
 
 そうして、今日になってパリ五輪の開会式をKHK+で見た。
 セーヌ川が影の主役のように見えた。
 ピアノ演奏者のソフィアーヌ・パマールさん、フランスの歌手・ジュリエット・アルマネさんを乗せたボートが登場。ピアノが燃え出した。「イマジン」が歌われた。
 セーヌ川は流れる。
 鮮やかな演出であるし、メッセージは明確に伝わった。

 「ゆく川のながれはたえずして、しかももとの水にあらず。」・・・・。