今、困難に直面している方へ… 希望を実感した日

シドニーに強風が吹き荒れる。

またこの時期がやって来た。
2003年のあの日から、毎年この時期にシドニーに強風が吹く事を知っている。
 
「私は乗り越えられる」
そう確信したあの日。
 
街の風景を変えてしまうほどの強風は、大木をもなぎ倒し、あたり一面に枝やゴミ、ビニール袋やシート、あらゆるものを散乱させる。
全てのものが抵抗を失い強風に翻弄される中、自分の人生に突如訪れた嵐にかき乱される心とシンクするようで、私はこの強風にある種の心地よさを感じていた。
 
「この強風が私の心に重く鎮座した鉛のような痛みの塊りをも吹き飛ばしてしまえば良いのに…。」
 
そんな思いで強風にあおられ、乱れる髪を気にもせず投げやりな気持ちでふらふらと歩いていた。
 
 
翌朝、あらゆるものが散乱した雑然とした街はその様相に相反する美しい光に静かに照らされていた。
 
そして自然が私に語りかける。
 
いかなる状況においても生きるか死ぬか狂うしかないのだよ。
 
お金がなくとも、悲しいことがあろうとも、誰かに傷つけられようとも、処理しなければならない問題が山積みであろうとも、死ぬ事を選択せず、そして今狂っていないのなら、生きるしかない。
 
自然がなおも学びを与える。
 
 
なぎ倒された大木。
土壌が悪いために、その大きさ故になぎ倒される。
人もその大きさを増すほどに、支える人達が重要になる。
出世し、立派な地位についた時にこそ、支えている周囲の人の存在を知り、大切にし感謝すること。
その人達なしに自分の力だけでは絶対に立ってはいられないのだから。
 
しなる若い樹木。
どんな強風にあおられようとも、柔軟に動き倒れる事はない。
若いうちにはどんな困難をも柔軟に乗り切ってしまう。
何かに立ち向かう大きさばかりが強さではない。
あおられ、しなる柔軟性も強さ。
 
振り落とされた枝。
成長と共にその形は複雑さを増し、あらゆる方面に枝を張り巡らせる。
複雑に成長した全ての枝葉に栄養を届けることが上へ延びる妨げとなる。
強さを失った枝葉は強風に振り落とされ、間引かれる。
間引かれた後に残った強い枝のみが、十分な養分を吸い取り、間引かれたものの分だけ勢いよく上へと育っていく。
 
 
私は死んでも、狂ってもいなかった。
嵐に翻弄されてもまだ立ち続け、ゆっくりと1歩ずつ歩みを進めていた。
 
「私は倒れない。乗り越えられる。」
 
 
そう確信した。
大切な家族と友人が支えてくれているから。
自然が、大いなる世界が語りかけてくれているから。
 
どんなに激しい嵐もいつかは止む。
吹き荒れる強風にただ立ち向かうのではなく、あおられ、柔軟にしなれ!
折れる弱い枝なら執着せずに振り落としてしまえ!
 
この嵐が去った後、自然の摂理のもと、間引かれた私は強く、勢いよく大きく育つに違いないのだ。
心にぐっと力が入り、細い光の筋を見た気がした。

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