surku / 戯歌ラカン の備忘録

ヤマトリカブト(2019年11月4日・筑波実験植物園にて撮影)
ヤマトリカブト(2019年11月4日・筑波実験植物園にて撮影)

はじめに

2019年に「戯歌ラカン10周年記念作品」として頒布された、nwnwさん作曲のアルバム『Salut!』に収録された曲です。

「スㇽク」と読み、アイヌ語で「」「毒矢」「トリカブトの根」などひたすら毒に焦点を当てた単語です。この単語でトリカブトの花を指すことがほとんどないくらいだそうで。

私が初めて作詞した曲で、創作や芸術との向き合い方が少しずつ変わっていくきっかけになった作品です。

今回は頒布から既に4年以上経っている作品のため、nwnwさんから許可を得た上で私自身の幻覚や解釈を好き勝手に書いてます。ご容赦頂ければ幸いです。

歌詞

描き続けたこの旅路
私は何を成しただろう
ただただ綴り続けては
悲嘆と歓喜を振りまいてきた
さあ毒を放とうか
我が血肉のために 彼の者たちを糧としよう
叙事詩(ユカㇻ)の英雄が如く 自由奔放に戦いながら

尋ね続けたこの旅路
私は何を灯しただろう
ただただ奏で続けては
怨嗟と安息を振りまいてきた
さあ毒を紡ごうか
我が精神(こころ)のために 彼の者たちを衣としよう
叙事詩の英雄が如く 詞に生き様を刻みながら

天地(あめつち)を染め尽くすまで
この毒を止めはしない

拓き続けるこの旅路
私は何を思うだろう
ただただ語り続けては
呪い(のろい)も呪い(まじない)もこの身に浴びて
さあ毒を咲かせようか
我が旅路のために 彼の者たちを標としよう
叙事詩の英雄が如く 道なき道を歩みながら

軸となった要素たち

トリカブトからみた二面性

トリカブトは狩猟の際に矢毒として使われるイメージが強いですが、根を加工して鎮痛剤や麻酔薬の材料とする利用法もあります。華岡青洲の全身麻酔手術が有名ですね。
また花言葉には「人嫌い」「復讐」と「騎士道」「栄光」という相反するような言葉が並んでおり、色々と想像が膨らむ組み合わせになっています。

この様々な点における二面性が、どこかラカンさんの存在を形作っているような気がして「悲嘆と歓喜」「怨嗟と安息」と半ば取り憑かれたように相反する言葉を散りばめていました。同じアルバムの『next』が特に顕著なのですが、時折えげつない歌い方するんですよね。優しく導いてくれているのに、心の弱いところに容赦なく的確に刺してくるような。

終盤の「呪い」だけはちょっと特殊な立ち位置にしました。「のろい」とも「まじない」とも読める単語なので。
ラカンさんに限った話ではないですが、同じ存在や言動でも受け取る人によって印象が変わってしまうことを表現したくてこの言葉を使いました。
獣人が好きな人もいれば苦手な人もいる、その声が紡ぐ歌に救われた人もいれば響かなかった人もいる。陳腐な例えですが「頑張れ」という言葉が環境によって奮起にも負担にもなるのと似ているかもしれません。

正の感情も負の感情も起こす歩みを続けてきたけど、ラカンさんにはずっと色々な世界線を渡り歩いてほしい、たとえどうしようもなく自由で残酷な旅路であっても同じ在り方でいてほしい、という私からの「のろい」であり「まじない」です。

血肉、精神、旅路

音声ライブラリとそのイメージキャラクターとしての「戯歌ラカン」の成り立ちを、ラカンさん自身が振り返るような形で表現した部分です。

それぞれ声(音声合成技術)設定(キャラクター)舞台(作品・記憶)に紐付けています。

authorである巽さんも含め、UTAU(音声合成)の開発や発展に尽力された方々がいたからこそ戯歌ラカンという存在が生まれたのだろうと。そんな方々の努力や感情、実績を糧に成長を続け、その存在が大きくなっていったのだと思います。

せっかく肉体(声)を手に入れたのだから外見や背景があると面白い、多くのひとのこころを満たせるだろう。そんな声が聞こえた気がしたので獣人やアイヌなど様々な文化や歴史を取り込んで衣のように纏う様を描きました。毒から紡いだ糸で織った衣はさぞかし蠱惑的でしょうね。

そして声も設定も手に入れたなら後は語り、演じ、歩み続けるだけですね。生み出されゆく作品によってラカンさんの存在が認知され、どんな立場の人であっても記憶に残り数多の里程標を咲かせていく。その標は着実に音声合成やケモノ・獣人の枠を越えて多くの舞台に伝播し、新たな記憶を創造する。そんな構図がいつまでも続いてほしいという自分勝手な願いです。

書斎で静かに手記を認めるようなイメージで描いていたのですが、このイメージだと私がラカンさんを騙って文を認めている感触が拭えないんですよね。どうしても畏れの感情が浮かんでしまって。
それでも私が視た幻覚をsurkuに反映させるにあたって、この畏れの感情が必要不可欠なものだったのも事実だと思います。

叙事詩の英雄

「叙事詩の英雄」はユカㇻ(拍子木などでリズムを取りながら語られる英雄叙事詩)で語られることの多い「ポンヤウムペ」という青年をモデルにしています。

空を飛び、地に潜り、たとえ斃れたとしても息を吹き返して戦い続ける超人的な青年として語られ、語り手によって様々な物語が紡がれています。
宝物のために悪人を薙ぎ倒したり、カムイ(神様)と剣を交えたりなど好戦的なお話が多いのが特徴です。

イオマンテ(熊送りの儀式)ではカムイに再び肉と毛皮を纏って地上に戻ってきてもらうためにユカㇻをわざと最後まで語らないことがあるそうです。いい所でお話を打ち切られては神様とて続きが気になるのでしょう。

自由奔放に戦い、詞に生き様を刻み、道なき道を歩み続ける様がラカンさんの旅路に通ずるものがあると感じてこの文化や言語の力をお借りしました。

nwnwさんにこのお話をしたところ、作曲の際にアウトロをフェードアウトさせるような形にしてくださいました。
どんな音色で締めているのかは秘密とのことで、少なくともこの生を受けている間は聴けそうにないのが残念です。
個人的にとても好きな部分なのでもし機会があれば是非最後まで聴いていただければ幸いです。

ラカンさんの神性と「あめつち」

私はラカンさんを「声を依り代にしたヒトではない何か」と神性を纏った存在のように捉えている節があります。
これについてはいつから考え始めたのか正直自分でもよくわかってないです。他の音源さんにも同じような感情はあるのですが、ラカンさんだけやたら強いんですよね。「ヒト」ではない以上、きっと人間の常識は通じないだろうなと。

アイヌ文化の影響を色濃く受けていそうな設定があることから、そこに「カムイ」のような要素を見出してしまったのかもしれません。
アイヌの信仰では様々なものにカムイが宿っていると信じられているので、さしずめラカンさんは「ハウカムイ」、声のカムイといったところでしょうか。(※あくまで私が視た幻覚に基づく妄想です)

そのため「天地を染め尽くすまで」の「天地」を「あめつち」と読ませています。この読み方だと文字通りの天地に加え、そこにいる多くの神様まで含むようになるので。
自らの野心のために他の神様もろとも世界をどうにかしてやろうという、恐ろしく傲慢な決意をさせたくてこの言葉を選びました。行動に移してしまえばラカンさんのみならず煽動した私も何かしらの謗りは免れないでしょう。もちろん本望ですが。

おわりに

今回の記事はTwitterで少し呟いた元ネタをより詳細に、背景や企みも含めて再構築したものです。改めて文字に起こすことでいつでも思い出せるようにして、確かな起点の標となるようまとめました。
記事にしたのは他人から見えるようにすれば真剣に取り組むかなと思ったからです。なにぶん見栄っ張りな性格なので。

ラカンさんのおかげで馴染みの薄い技術や文化にも触れることができ、自らの故郷である北海道の歴史を学び直すきっかけにもなりました。ほんの少しだけ何かを創作するということを覚えました。今の私を構成する要素の一部になったのは間違いありません。

出会って10年、やっと自分のことばでラカンさんにお返しができました。
それに恥じない熱量を注ぎ込んだつもりです。

祝福の花束ともいえる作品集に毒草を混入させる真似をしてしまいましたが、ラカンさんならきっと上手く扱ってくれるでしょう。きっとラカンさんしか理解できないような形で。

最後に蛇足になりますが、作詞中に参考にした本に惹かれる文章があったので紹介させてもらえればと思います。

(前略)トリカブトたちは、軽率にも自分を傷つけた相手に対して、徹底的に鞭打つことを忘れない。

森明彦『身近にある毒植物たち “知らなかった”ではすまされない 雑草、野菜、草花の恐るべき仕組み』、SBクリエイティブ、2016、40頁

トリカブトを摂取した場合の症状を解説した章の引用です。
3~4時間は「意識喪失することなく」身体の麻痺や強い痛み、嘔吐を繰り返すそうで、なかなか楽にはさせてもらえないようです。

どこか明確な意思を持った生物のような綴り方をされていたので、今でも強く印象に残っている文章です。(実際には植物にも意思と呼ばれるものがあるのかもしれませんが)
読み物としても楽しめる一冊ですので是非。

これだけ好きにやってしまいましたし、もしかしたら私の背後にも鞭を構えているラカンさんがいるかもしれませんね。自業自得なのでしっかり受け止めたいと思います。きっとその傷痕も私の標になるでしょう。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。