絶対に必要だった1年間

2023年2月7日。
僕は19歳の誕生日を迎えた。
9時40分。シーンと静まりかえった教室は殺気に満ちあふれている。お茶の水にそびえ立つ駿台予備学校三号館。僕の目の前には「東大物化演習」太字で印刷された問題用紙が鎮座している。
最後の10代のスタートとなる節目のこの日は、人生で最も意識されない誕生日だった。

元々勉強が好きだった。千葉高校に入学当初の自分は、ギラギラしていて、思いのままに好きな勉強ができる夢の学び舎に入学できたと信じ込んでいた。そんな期待は1ヶ月後には形骸化し、漠然とトップの大学に受かることにベクトルが差し替わっていた。

空虚な目標。根拠のない自信。深層に潜む好奇心。自覚している虚勢。
石炭があるのに車輪が回らない蒸気機関車のように高校時代は過ぎ去っていった。たしかに経由した駅は野球。そして、当時は見えていたのに通過した駅はたくさんあった。世界史なのか、政治なのか、倫理なのか、現代文なのか。

高校卒業は2022年3月20日。それよりも早く、3月10日に僕は駿台予備校への入学を決めていた。
現役時代、一校のみを志願していたが全くとどきもしなかった。
ただ、どんな大人になりたいのか、何をしたいのか、なにも分からない。
口先だけで偉そうなことを言っていたが、中身がないペラペラの将来。
この時期一番楽しかったのは、おちゃのみwikiを読んで、どんな面白い先生達があられるのかを妄想することだった。

2022年4月15日。駿台予備校の幕が開けた。理系の生徒約100名で埋め尽くされた教室。知っている友達は一人しかいない。
「毎日開館から閉館まで自習室にこもろう」、「とにかく苦手な理科を重点的にやろう」、「俺の鋼のメンタルなら耐えられるはず」。そんな自分への期待感に満ちあふれながらスタートした。

「えっ?こんなことやるの?」、「周りの会話がこの程度なの?」。びびる。明らかにレベルがおかしい。高校時代に経験したことがないようなテストの話、偏差値の話、明らかな誤答で盛り上がる周囲の雰囲気、こんな環境にぶちこまれた俺は1年間やっていけるのだろうか。とにかくきつい。何がきついって、孤独過ぎる。友達はなぜかいない。本当にひとりぼっち。9時に駿台にくる。授業を受けて、一人でお昼ご飯を食べて、一人で授業をうけて、一人で軽食を食べて、一人で自習して、一人でチャリで帰る。
本当に気がおかしくなりそう。マジで孤独過ぎる。
そもそも自分は何のために浪人していて、何のために勉強しているのだろう。
この問いに答えを見いだすために、日本最難関の大学学部に目標を設定して、ただがむしゃらに勉強した。とにかく朝から夜までやる。チャリとお風呂で解いた問題を脳内シュミレーションする。
なんとか気合いで、一人で、耐えていた、そんな浪人生活のスタートが、5月からある一人の先生との出会いを機に好転していく。

「何のために勉強しているかは受かってから考えなさい。今は受かることが一番大切」よくわかんないおじいちゃんが現われた。「タイノオカシラ」「T,Mレボリューション」まじで意味分からん。でも、面白かった。
唯一面白い学びの時間が水曜日の16:00から現われた。
救われた気がした。霜栄先生が僕に、学びの面白さを再認識させてくれた。
本質的な読解とはこういうことなんだと教えてくれた。
文章にはテーマとメッセージがある。そして、論理的に文章を読むということ。文章には役割がある。そして、流れに沿って本文を追いかける。
答案をつくるときは一番遠いところからスタートしてまっすぐと完成させる。
国語は、イイタイコトを発見し、伝える科目。それが論理的な読解に基づいている。その基礎基本を確実に、絶対的に身につけていった。

一週間に1コマ、この感動的な授業が登場したはいいものの、モチベーションは停滞していた。
とにかく孤独。一人。寂しい。
霜先生以外に会話をする人がいない。コンビニの店員に声をかけるだけで緊張する。ストレスで肌は荒れ、でも気分転換に何かやることがあるかと言われてもなにもない。あっという間にGWが終わり、6月に入るころ、別の好奇心が浪人生の魔を刺した。

めっっっっっっちゃかわいい子がいる
これはがちだ。本当に理系のクラスに女子はほとんどいない。その中でひときわ目立つ服装をした、とんでもなくかわいい子がいた。
ある日の自習室。閉館のアナウンスが流れる。部屋には僕とあの子の二人だけ。思い切って声をかけてみた。
「このテキストの次の予習どこかわかる?」
は、、?おいおい待てよ。今考えたら不審者にもほどがある。なにこの台詞。
キモいポイントその1同じクラスだって一方的に知っている。
キモいポイントその2最初に聞くの予習?
キモいポイントその3ってかこの日疲れ切ってるだろ
キモいポイントその4俺メガネで半袖短パンサンダルだぞ
そう、つまりキモすぎるんだがなによりもキモいのは俺がここまで詳細に台詞を覚えているということだ。
しかし、奇跡的にこの子がのりが良く、お名前を聞いて、自己紹介もして、駅まで一緒にいくことができた!最高!
唯一残念だったのが、僕はスマホを駿台に持って行っていなかったので、SNSをなにも交換できなかったことだ。
こうして人生初のナンパin予備校を達成したのだが、コンビニ店員にすら緊張を覚える浪人生が、この子との関係を発展させる日は2度と来なかった。

6月からやはり浪人生達の心が折れたのだろう。
授業に出ている生徒の数が減っている。同時に段々と友達が増えていった。
同じ東大志望の男の子、医学部再受験の女性、高校出身で話したことがなかった子、なんとなく浪人ライフを確立してきた。
落ち着いてきた反面、確かに1回目の勝負所は近づいてきていた。
夏は冠模試がある。
メラメラと燃えたぎる闘志は最高潮に達していた。

孤独がつらすぎたスタート、なんとなく日本の最高学府を目指すことでキープしていたモチベーション、初めてのナンパ、友人関係の構築、メンタルは不安定だったが、決してつまらない生活ではなかった。
現代文はおもしろく、元々好きだった数学はその実力を伸ばし苦手だった理科も確かな成長を感じていた。このときはまだ、自分の位置をちゃんと理解いていなかった。

8月後半、目の色を変えていた。そうだろう。冠模試の結果が見えてきたからだ。ナンパとか、友達とか、言っている場合ではない。そもそも俺はこの1学期何を勉強していた?
理想と現実のギャップにプレッシャーを感じる。時間がない、やるしかない。
焦燥が背中を押す。10月に1発目の入試が迫ってきている。

この日、ハプニングが起きた。前日に、ナンパの女の子と帰りが一緒になった。同じ医学部志望と分かっていたので、入試頑張ろう////トークで盛り上がったのだ!
士気は最高潮。やる気もマックス。準備も完璧。
きたる入試は最高の出来だった。問題用紙が回収されたのにもかかわらず、すべての問題を覚えているほどの自信。今年の頑張りを確信し有頂天になっていた。最後の冠模試まで1ヶ月。この勢いで入試まで弾みをつけていこう!
自信も、モチベーションも良い状態でキープできていた。この結果が出るまでは。

実際学力的にも、国語数学英語では高水準を保てていた。理科が問題に左右される不安定さを感じつつも、勝負は出来る程度だった。逆にいえば、浪人していたのにもかかわらず、勝負できる程度の実力しか持っていなかった。
受かりたい!そのために頑張ろう、と気合いで勉強をしていた。唯一誰にも負けないと思っていたのは心から楽しめていた現代文だけ。
計算がめんどくさい数学の問題は嫌い。物理は結局全部座標系と時限追跡と微分方程式だから面白くない。英語は日に日に下手になっていく、県千葉の授業の方がよかったなぁ、無機化学はつまらない。全部理論化学ならいいのに。

そんなこんなで浪人生の勝負どころの12月。
言い換えれば、僕の”今”を決めた12月1日になった。

落ちた


絶対の自信があったのに


落ちた


なんで、自分は防衛医大を受けたのだろう。
なんで、自分は医学部を目指していたのか。
なんのために浪人をして、なんのために勉強をしているのか。
この1年頑張ってきたことは何につながるんだ。
何をしていたのだろう。

何もかもわからない。本当に、わからない。

どうしよう、と思って起こした行動は本を読むことだった。ひたすらに自己啓発本を読みあさる。
幸せとは何か、死とは何か、生きるとは何か、学びとは何か。
その過程で高校の学びがリフレインしてくる。
世界史、楽しかったなぁ、なんかこう、学んだことを元に答えがない問いについて一生懸命考えるのが面白かったなあ。
現代文面白かったなぁ、夏目漱石のこころ、青年期の葛藤をあんなにも鮮やかに表現している作品は他にないよなぁ

そうか、自分は理系の学問じゃなくて、文系の、哲学とかを学びたいんだ

ちょっと早めのクリスマスプレゼントだった。
共通テストまで1ヶ月を切っているこの時期に、僕は文転を決意した。
しかし、いまから歴史をやるのは間に合わない。
なら、東大は理系で入るために頑張ろう。
他に理系でも受けられる面白そうな大学を受験しよう。

こうして、受験校が決まった。
・上智大学文学部哲学科
・慶應義塾大学総合政策学部
・東京大学理科二類

なんで総合政策学部か?
数学の先生がSFCの話を授業中にしてくれていて、なんか面白そうだったから。それ以上でも以下でもない。

忘れもしないクリスマス。
自習後に中学野球部の友人を誘って公園にいった。
そして、上裸になって、懸垂を限界までした。
うおおおおおおおおおおお
東大にいくぞおおおおおお!
浪人生はここまで頭がおかしくなる生き物なのだ。
普通はあり得ない。くそ寒いのに、体調を崩すかもしれないのに、でも、懸垂をした。あの風の冷たさを俺は2度と忘れない。

1月。本当に良くない。マジで良くないんだが、新しい出会いはいらないってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!
でもね、切羽詰まっているからこそ、メリハリがすごくはっきりついた。
あのこと話す時間と、集中して解く時間が明確になった。
ストレスもない。ただただ、目標、行きたい進路に向かって勉強することが面白い。
でも、なんか最後まで乗り切らなかった。
なんとなく哲学?でも、なんか、イメージ出来ない。
共通テスト、苦手だな、やだな。。。。。
やなんだよね、共通テストよりも二次試験が大好き。でも現役の時は二次試験を受けることすら出来なかった。

気合いだった。乗り越えたよ、共通テスト、こっからが本番さ。
それからのはひたすらに東大の勉強。たまに休憩で倫理の勉強をして、上智が終わった。東大に本腰、って時に冒頭に戻るのさ。

大変だったよ、ここまで。
ずっっとむりやり降りないで自転車で坂を登っている感じ。
途中土砂降りとか、誘惑とか、色々あったけど、
なんとか、ここまできたの。でもね、神様っていないんだよね。

やっぱり上智も落ちた。(補欠何番かわすれたけど)
だから、予定と違って、慶應の勉強をしなきゃいけなかった。でも、本当にSFCのことはなにも知らなくて、東大に受かるしかない!これでだめなら文転して2浪だ!って思ってた。

でも、流石に2浪は怖かった。試験前日に過去問を1年分見て、気休めした。
当日、奇蹟がおきた!小田急の遅延!よっしゃ!!!!!
この2時間でおれはシステム英単語を一周できた。アツい!
背水の陣なんだよ❗外に飯を食いにいくとか、友達同志ではしゃぐとか、そんな気分にはなれない!死に物狂いでやるしかない!

そんなこんなで入試になった。英語・数学は問題ない。
小論文、
これが僕の浪人時代で唯一、心から楽しいと思って勉強ができた瞬間だった。
問題が、”学びとは何か”がテーマだった。
願ってもないテーマ。J.Sミルは、上智哲学科の準備で山を張っていた哲学者。それが引用文献で出てきた。
すべての設問にとどまることなく答えられる。
なんとなく試験中に、「あぁ、俺って多分ココに来るんだろうな」と直感してしまった。
その日の夜、自習室に戻って、ひたすらSFCとはどんなところなのかを調べていた。
僕の浪人生活は実質的に終わっていた。

3月10日12:00、父の部屋にノックをし、150万の学費を払いに銀行にいった。
帰りに食べた鳥白湯ラーメンの味を一生忘れない。
結局1年そのためだけに頑張っても、自分は目標を叶えられないその程度の人間なんだという烙印を自らに背負ってしまった。
これは一生背負い続ける物だと思うし、別に恥じている訳ではない。
ただ、僕は自分のポリシーに反することは貫けなかった。
心からやりたいと思えることには全力でやれる、プライドの高さと条件付きのグリッドを再認識した。
もちろん、忍耐力やメンタルマネジメントを学んだ1年でもあった。
国語力は劇的に伸びた。勉強全般も詳しくなった。
大きく失ったのはコミュニケーション能力と、自分自身への自信だった。

自己探求を早くしておけばよかったとは思わない。
逆に、高校4年生12月まで自分はその重要性に気がつかなかった。逆に言えば、それだけ本気で日本の最高学府に挑もうと努力し、挫折した上で初めて自分から気がつけるものだった。だから、自分の経験をありありと語ることが出来るし、それには自信が持てる。本当に生きていていいのか、というレベルまで自分のことを考えて、努力して、考えたからこそ得られた経験だと思う。

この後、どのような大学1年を経験し、成長し、今の自分、これからの自分があるのかはこれからも楽しみなところではあるが、
間違いなくダラダラと過ごして朝4:26にこれを書いている今日の僕は反省しかない。しかし、反省できるというgiftを得られたのだから、明日の自分は今日よりも必ずver.upしているはず。そんな毎日を必ず過ごせていることだけは胸を張れる。

おやすみなさい

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