病んでいる、に今更気づけた話

どうやら私は今病んでいるようだ。
そう気づけたのも最近の友人との会話の中で、だ。
でも客観的に見ればおおよそ周りの人達は
「え、むしろその様子で病んでないと思ってたの?」
と言ってきそうな気はする。
第三者として見たら自分も、まぁそう言っていたであろうと思う。

ここ最近は特にひどく病んでいるのだが(と気づいたのだが)
昨晩寝る前にここ数年を振り返った時に(最近すぐ寝れない日の方が圧倒的に多くて考える時間があったので、これも病んでるから?)
実は病んでるのって、ここ最近がとりわけ顕著だっただけで
割と前からそうだったくない?と思うに至った。
それについて少し書いてみようと思う。
主に触れるのは私が社会活動を行うようになってからのことだ。

私は小学生くらいの頃(多分物心つく頃)から人に良いこと地球(環境)に良いこと、とされる行いに関心があった。
そして時は流れ(今回は割愛します)
今から3年前の2021年に、当時からの思いがあり地球温暖化について改めて何ができるのか、今どういう状況なのか知ろうと思い勉強を始めた。
その時、今では気候変動や気候危機と呼ぶのが世界の常識であり、日本の対策の遅れや怠慢、現状の深刻さを目の当たりにした。

それから私は先ず、個人のライフスタイルを変えることから始めていった。
マイボトルを持ち始め、ヴィーガンに移行し、コンポストを始め、オーガニックのものを買うようになっていった。(他にも実践していることはまだまだあります)
それから気候危機は人権の問題だ、という言葉を知り、その意味を知り、気候正義という考えを知り、足もとで見過ごしていた、性差別やジェンダー不平等に気付き、フェミニストになった。

それから私は色々なマーチ、スタンディング、デモ、勉強会、セミナーにどんどん参加するようになっていった。また色んな団体、組織、コミュニティにも所属するようになり、活動を行うようになっていった。

一番楽しく活動できていたのは一昨年の2022年8月〜年末くらいだと思う。
団体をいくつも掛け持ちし(これは今もだが)、個人でオンラインやオフラインでセミナーをやったりなど、MTG(主にzoomでのミーティング)やセミナーに参加したりしない日はないくらいで、むしろ1日に2本も3本も平日にも関わらず予定がある日が当たり前だった。
それでも楽しく、むしろ生きがいに感じており、全然苦ではなかった。

それが去年(2023年)の頭頃から崩れ始めたように思う。
1月に所属していた団体の一つが急遽解散することになった。(正確には団体は存続したまま、代表や監事のみを残しその他のメンバーは解散。今でもその団体は形やメンバーを変え活動中)
代表(共同代表2人)の一方的な決断による解散だった。
そう至るまでに何があったか。
代表によるメンバーに対するハラスメントがあり、それについて何度も沢山のメンバーが対話を試みようとしたが、それを拒み逃げるように行った、一方的な措置であった。

ハラスメントは絶対許されるものではないし、今でも許してはいないのだが、その時の代表の感じは正直、これまでの自分の人生経験を振り返っても、残念ながらよくある感じだなと思った。
でもそれが、あろう事か社会に対して良いことを行っていく組織や団体でも当たり前にあるんだなということに、少なからずショックを受けた。

それから2,3月、プライベートで失恋をした。
そこまではよくある話なのだが、その後の(思いを寄せた)相手の態度が酷かった。詳しいことはここでは省略するが、その時深く傷ついた。

4月、気候市民会議に運営メンバーとして初めて参加した。
そこであるチームのリーダーを担うことになった。
リーダー1人は心理的にハードルが高かったのと、ただでさえ他の団体とも掛け持ちしてタスクも過多になっていたので、副リーダーを2人選任させてもらった。
その後、副リーダーの一人から陰で私に対する不平不満を言われていることを知った。
辛かった。悲しかった。面と向かって言ってほしかった。
その後これまでの感じた、改善してほしい所などをぶっちゃける場としてMTGを設けたのだが、そこでも本人の口から、聞いた話が出てくることはなかった。
それがより一層寂しく辛く感じた。

この頃精神的にも物理的なタスク量やMTG数(平日でも仕事終わりに2,3本全然あったりした)にも疲れ、6月頃まで少し休むことにした。

7月〜12月
団体でのイベントやアクション、気候市民会議など様々行ってきた。
その最中にも色々あった。
端的にまとめると、目的を達成するために一人一人の感情は尊重されず、場合によっては搾取する・されるような事が続いていたと思う。
離れていったメンバーもいるし、自分も辛かった。

1月〜現在(2024年、今年)
活動を通してや個人で勉強をし学んでいくことで、見えてきた・くる景色がどんどん変わってきている。間違いなく一昨年や去年よりもさらに。
それゆえ気にかかる事が増えたり、またマイノリティが感じる生きづらさやしんどさを前よりもっと広く深くそれでいて身近に感じるようになってきた、ように思う。
だからか、前より傷つく事も多くなった気がする。

マイクロアグレッションを感じることが多くてしんどい。
こんな話を時折周りの人にする事がある。
この話を聞いた相手から返ってくる言葉として、以下のものが悲しいけどままある。
「色んなことを勉強している(denだ)から(こそ)だよね。自分もマイクロアグレッションをする人と思われてないか不安になる」
「言っている側に悪意はない、だからこそ対話が必要」

あぁ…話さなければよかったなと思う。
勉強して気づいて寄り添いAllyを目指し頑張る自分が悪いのか。どういう言葉が誰かを傷つけてしまう事になってしまうのか、自分の被害者意識ばかりで加害意識を育もうとはしないのか。悪意のないのがマイクロアグレッション、どうしてその対話を傷ついている当事者ばかりにさせようとするのか。
色々思う。そして感情も色々渦巻く。
悲しい。虚しい。しんどい。怒り。寂しい。

その度に突き付けられる。
この世界はマイノリティ性が高ければ高い人(もしくは動物など)ほど生きづらい、生きることが難しい世の中だな、と。

そんな日々の連続だから、心が病んでいった、病んでいるんだと気づいた。
自分の今の境遇は社会的に見るとマジョリティ要素が強い方に位置するとは思う。
それでもこれだけしんどいのだから、よりマイノリティ要素が強い方に位置する人のことを思うと、想像するに絶する。

今思うことがある。
この病みは克服するものでも無くすものでもないと。
そして今の自分の答えはこうだ。
いかにうまく付き合いながら、この社会に対する声に変えていくのか。

※かなり荒く書いたので、後日加筆修正すると思います。

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