社会性の練習(十一)


今年の夏頃からまたK-POPを聴いている。また、というのは数年前にBTSやBLACKPINKを聴いていた時期があったからだ。ちょうど、BTSがアメリカのチャートで初めて一位を獲ったタイミングで、「FAKE LOVE」の自分自身の内側に潜っていくような音質に魅力を感じた。「内側」と表現したように、K-POPのナムジャ(ボーイズ)グループの楽曲は「私」の内面に向かう楽曲が多い。2008年の楽曲だが、いま繰り返し聴いているSHINeeの「Replay」にも同様の構造が見て取れる。日本の「自意識」に対しての「自己意識」、セルフの感覚が心地良い。

一方、ヨジャ(ガールズ)グループの楽曲は外へ外へと開かれていくような音質を感じる(この夏の楽曲だとTWICEの「Talk that Talk」あたり。ただし、この点は「ガールクラッシュ」系統の楽曲をあまり好まないわたしの志向も入っている。また、この「外へ」は男性(異性)へのセックスアピールとも異なる)。そうした中で、IVEのナルシズムをテーマにした一連の楽曲の質感はこの開かれの感覚とはまた別の色合いがある。ナムジャの下へ下へと垂直方向へ向かう内省性ではなく、心の領域の幅を横へ横へと拡げていくような内省性だ(「ELEVEN」のセブンカウント「1 2 3 4 5 6 7」が砂時計が落ちるように↓へ流れるのではなく字義通り→へと時間が進んでいくように)。

K-POPの楽曲はナムジャ、ヨジャどちらも自己をベースに作られているため、いわゆる日本的な湿った抒情とは異なるニュアンスをもたらしてくれる(もちろん、欧米の影響も強いだろうが)。基本的に、ビートの表裏拍がしっかり強調されるのもそのひとつの表れだろう(日本の楽曲はどちらかというと等速直線運動感が強い)。


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