第一回水沼朔太郎賞結果発表
第一回水沼朔太郎賞をやろうと決めたのは早朝の肉体労働中だった。それから、十日。またもおなじ時間の肉体労働中に結果が決まった。ほんとうは先日の東京文フリで販売された冊子の作品も含めようと思っていたけれど、どうしても色眼鏡で見てしまうだろうからやめる。今回、候補作品に挙げた三十に迫る連作のことをぐるぐるかんがえる中で今年も含めてすでに三年間連作について記録し続けてきた山下翔さんによるブログ記事のタイトル「心に残ったこの連作」――「心に残った」という一見シンプルだけれどもそれでいて連作について書き起こすときにこれ以上ないほどぴったりくるこの言葉に立ち返って第一回水沼朔太郎賞の三作品を決めた。
金賞:笠木拓「くす玉」21首 短歌同人誌「遠泳」vol.2 2020年1月
銀賞:平英之「わたしは招かれた客だ」16首 webサイト「TOM」 2020年4月
銅賞:藤本玲未「露地」15首 短歌同人誌「半券」vol.2 2020年9月
こうして書き出してみると読んだ記憶がもっとも遠い作品の順番になった。金賞の笠木拓「くす玉」は〈冷えるのはこうもたやすいから躰十一月の空の港に〉と奇しくも十一月が詠み込まれた歌からはじまる。
いちまいの遠い秋空 たましいが羽織るショールを心と呼んで
ハンドメイド・タコヤキ・ナイト 世界など毎晩暮れてゆくのに のにな
㊵(ひょうしき)がくす玉のよう 言いかけたことは言おうよわたしたちなら
あらゆる感傷やほとんどすべての喜怒哀楽が出揃ってしまった感のある短歌定型のなかで〈ゆくのに のにな〉〈言いかけたことは言おうよわたしたちなら〉という新鮮かつそれでいて笠木の作品世界に相応しいフレーズにじんとした記憶がある。なかでも〈言いかけたことは言おうよわたしたちなら〉のフレーズは〈わたしたち〉が読み手を排除した作品世界内におけるものでなく作品と読み手とを繋ごうとする。重要なのは実際に言えたかどうかではない。言いかけたことを「言えた/言えなかった」の二項対立から解放してやることだ。言いかけたことにもおなじようにスペースを与えてあげること。言いかけたことは言おうよわたしたちなら――その呼びかけによって膨らんだ人と人との関係性、可能性に思いを馳せる。
銀賞は平英之「わたしは招かれた客だ」。4月25日にwebサイト「TOM」にアップされた。緊急事態宣言が発令されていた時期で大型連休初日の土曜日だったか日曜日だったかいずれにしても休日の気配の漂う一日に読んだことを記憶している。
耳でそれ、おみくじだよって富を富にして運命の抜かれたところ
出過ぎた真似でぶら下がるコアラだろう一発で許された謝罪だろう
人は変わるのではない増えるのだ デリシャス麦茶を教えてあげよう
隅々にまで配慮が行き届く世界ですっかり影が薄くなってしまった感のある五島諭の〈力〉や〈運〉についての試行を思い起こす歌群だった。短歌定型を力で強引に歪めてしまうのではなく定型に対して異なる力を流し込むことでべつの血を入れてやるような試み。おなじサイトに6月にアップされた評論「かつてなく老いた涙目の短歌のために」もたいへんおもしろかった。「どんな声でも「あるかも」と思えるように解釈することができるのだとして、わたしたちはどんな声でも、なんであれ聞いてきたのではない。いくつかの不可能な声を聞いてきた。」(同評論より)。
銅賞は藤本玲未「露地」。
産んだから生まれただけの蝶番ほどよく錆びて寂しくなって
社交的みたいな根も葉もない苺ショートケーキの銀紙のゴミ
対価とは記憶を量る天秤の片方が朧気な家系図
両親が人間になる玄関の鏡台の印鑑ひとつだけ
「蝶番」「家系図」「両親」「印鑑」といった硬い言葉(漢語(的))を拾っていくことで連作全体のテーマは見えてくるのだが、そのようなキーワードを平然と助詞で繋いでゆくことで立ち上がる/立ち上がらない詩情をおもしろく読んだ。そもそもタイトルが「露地」(「茶庭とも呼ばれる茶室に付随する庭園」(Wikipedia)のこと)である。完全に読み切れたわけではないので金賞までは推せなかったが読みながら今年一番集中した一連だった。
その他、候補作品の中から心に残った短歌を何首か引いて終わりとしたい。
火花放電 僕に子供が生まれてもネーミング・ライツは買わなくていい/青松輝
彼氏の次も彼氏をつくった女の子 入れてもらったことのない部屋/乾遥香
それにしても大塚愛はどんな日を「泣き泣きの一日」と思ったのだろう/鈴木ちはね
バルセロナバルセロナに行くその日までバルセロナに行くまでのこの日々/谷川由里子
いのちごと軽くなるとき浮き上がり虚空に締まりゆくアラベスク/野口あや子