解釈の迷う歌③

3回目は、解釈に迷うことがネガティブさに繋がらない稀有な歌人である椛沢知世さんの歌について書いていきます。

雷を窓ガラスごと見てしまう四角く腕をかためた私/椛沢知世

短歌同人誌「半券」創刊号

椛沢さんの歌で最初におっ! となった歌。この歌は比較的わかりやすい方の歌で、書いてあることの景は想像可能だと思います。いわゆるカメラワーク的な視点にはなっていなくて、雷、窓ガラスと距離感がなくなった私が背中写しに見える、その感覚が短歌的な眼を無効化していながら、一方で、〈雷〉や〈窓ガラス〉のスケール感によって空間のデカさは失わない。絵画の画面の中にいるはずの〈私〉がその絵画一枚まるごとを支えてもいる。

捩れている一着ずつハンガーにかけわたしが上半身下半身/椛沢知世

『塔』2022年8月号

捩れている上着を一着ずつハンガーに掛けていく。そこまでは想像可能な動きですが、そこから一首は〈わたしが上半身下半身〉と展開する。かなりの飛躍があると思いつつ、一方で、上着を掛けられたハンガーの構図というのは確かにザ・上半身とも言えて、そこからガクガクとリズムで下半身が引っ張られてくるような感覚で読みました。同じ時期に発表された

わたしむかし案山子を見たら会釈して数時間スキップしなかった/椛沢知世

短歌ムック『ねむらない樹』vol.9

も、〈案山子〉という上半身チックな(?)物体と〈私〉との奇妙な関係性が捻れた時間感覚で回想されている。一首目同様〈棒立ち〉という構図が〈案山子〉を通じて描かれていて、さらにそれに対するアクションとして、打ち消しではありながら〈スキップ〉が選ばれている点も見逃せないと思います。

つばめの巣重たそう 肩が凝っていてつばめが口を開きつづける/椛沢知世

『塔』2023年7月号

最近の歌で一押しの一首。構図としては二首目に近くて、〈つばめの巣重たそう〉から導きだされる〈肩が凝っていて〉という感覚が自分もしくはつばめの【巣】へとスライドする。この感覚のスライドがとても面白い。ここまで見てきた4首は、すべてちょっと奇妙で個人的な身体感覚の発露と読めなくもないですが、一方で、それだけではすこし勿体ないというか、いわゆる短歌が想定する〈私〉の立ち姿や没入感が知らないうちに拡張されているような構図がどの歌でも採用されていて、そこにわたしは可能性を見たいと思います。

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