社会性の練習(十四)

十一月に復職してからなんだかんだで公私ともずっと忙しく、久しぶりの予定のない連休初日。明日仕事がない、という事実だけでこんなにのびのび過ごせるものなんだ。とはいえ、夕方に散歩がてらスーパーへ行った以外は一日中、本、というか、文章を読んでいて、そのことが大きかった。タイミング良く、連休に入るタイミングで、いま現在において読みたいという欲望が発動する数少ない書き手である瀬戸夏子と千葉雅也が新しいテクストを発表している「文藝」と「新潮」の最新号が出た。

「批評」というものに熱中していたのはもう十年も前のことになる。特集内で言及されている固有名だと、小林秀雄から柄谷行人、蓮實重彦、佐々木中、東浩紀、小説家だと夏目漱石から村上春樹まで、学生時代にひと通り齧るには齧ったけれど、大学院入試に落ちてからの数ヶ月で当時所有していた批評、哲学関係の本はほとんど売ってしまった。ハルカトミユキ経由で短歌、瀬戸夏子、同人誌「率」に出会ったのはそれから二年近く経ってからのこと。

千葉雅也の新作小説「エレクトリック」が大変面白かった。一軒家の二階という空間について、多少の縁というか、遠方に住んでいる短歌の友人の何人かが一軒家の二階で過ごしている模様、があることもあり、小学生の頃、同級生が住む一軒家、と言っても、だんじりを引くような何十軒しかない地区に建てられた木造のもの、の二階で寝泊まりした一夜のことだったり、兄とふたりで過ごしていた府営住宅の一室のことだったりを思い出したりした。「二人で」遊ぶことのくだりも良かった。「せっかくなんだから、ちょっと一緒にやろうよ」。

「批評」に熱中していた頃のことを振り返ろうとするとなぜか格差、当然のように自分が恵まれていない側にいる、ことを思い出す。決して、引け目に感じていたわけではないが、突き詰めると、言語の壁を最も高く感じていた。短歌をはじめてからは反対になぜかそうした格差を感じることはなくなった。短歌は短歌でまた別の格差を感じることはもちろんあるけれど、現在進行形だ。

少し夜更しをしてしまった。充実した一日は不思議なことにあれほど苦痛だった深夜勤務の開放日のようでもあった。

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