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人の世界の広さは、人の幸福度にどう影響するのか

私は海外に出て他者から良い見え方をするように愛想を撒くことを覚えるまでは、ただ構われたがりの自分勝手で愛想もないコミュ障で、友達が極端に少なかった。学校も不登校がちだったし、だから世界がすごく狭かった。

海外で生活して文字通り世界を1つ知って、色々な人がいて、色々な文化があるんだと初めて心から実感できたし、たくさんの友達ができて自分の世界が一気に広がって、小さいことに囚われにくくなった。私はそれを知れて良かったと心から思ったし、明確に以前の自分より好きになれる自分に近づいたと思えた。以前よりずっと幸せだなと思ったし、世界が広いことは幸せなことなのだと思った。

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ここでブータンの話。幸福度が高いことで有名なこの国は、しかし2019年度のランキングからその順位を大きく落としているらしい。一説によれば、情報鎖国が終わり隣の芝が見えるようになって、比べることを覚えたからという。(参考: https://www.moneypost.jp/844491

その人の世界が広がって幸福度が下がった例、と言えるんだと思う。世界を知ることは、必ずしも幸福には繋がらないらしい。

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ここで思うのは、知ることや持つこと自体は材料に過ぎず、それらのバランスが良いことと、他者と比較しないことが幸福に繋がるのかな、ということ。

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世界が広がり他の存在を知ることは、良くも悪くも比べることにつながるとは思う。ブータンの記事を見て、私は世界を広げて幸せになったのではなく、不幸を感じにくくなったのかもしれないと思った。

何かあったときに、自分の小ささを知っていることは、絶望を避けさせる。それに自分より恵まれた人も、自分より恵まれない人もいくらでもいて、今の私は他と比べることに意味がないことをよく知っている(それでも殆ど無意識に比べること自体はしているのだけど)。

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その人の世界の広さは、その人の幸福度に影響を与えない、というのが正なのではないか。知っていること、持っているもの、比べないこと、が大事なのかもしれない。

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ただ私は、例えば幸せを感じられるとしても、狭い世界に戻りたくはない。世界は広く、存外に素晴らしいものも目を背けたくなる醜いものも多くあって、それらを知ることが比べることに繋がり幸福感を抑えるものだとしても。私はまだまだ知りたいし、その解像度を高めていきたい。

私にはまだまだできることがあり、伸び代があるのだと思えることは、私の生きる道に光を射してくれる気がするのだ。

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まとまりのないとっちらかった文章になってしまったな…ここまで読んでくれた人はありがとうです。

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