トライアル

そういえば、本当に地に足がつかなかったことは今までなかったなぁ。

地面に立ってるって、幸せなことだったんだぁ。


「ッゲっフン!」


大きな背中の向こう側から、大げさな咳払いが聞こえた。

そうだ、思い出した。

ここは電車の中で、ぼくは学校へいく途中だ。


ぎちぎちと音が聞こえそうなくらい、車内は人で詰まっている。

そして、人と人とに挟まれて、つま先だけ床に触れている状態だ。


10分前にいたホームがすごく懐かしい。

ここは暑苦しいし、香水とか汗の匂いとかでぐらぐらきそうだ。


車輪が軋む音と一緒に、車内が傾いた。

つま先立ちのぼくは情けなくなるくらい、押し合いへし合いに流され、

通学カバンも手から離れそうになった。


ようやく動きが止まったその時だった。

背中に何か、柔らかいものが、くっついている。


なんだこれは、と思ったけど、考えられることは一つしかなくて、

心臓が勢いよく跳ね出して、どこを見たらいいのかわからなくなって

こういうのってどうなるんだろう捕まったりするのかなあぁでも太った男の人っていう可能性も

「けふっ」

あるわけないよねこんなにか細い咳をするんだものぼくだってここにいたいわけじゃないんですけどちょっとラッキーだなんてあぁぁぁごめんなさいごめんなさい嫌ですよねこんなこと思うのなんてダメですよね


顔がすごく暑い、息がとても苦しい、みんなぼくを見てる気がする、笑ってる気がする、最低だと言ってる気がする、後ろなんか怖くて振り向けない、見えない、怖い、怖い、


「ひどく顔が赤いが、大丈夫かい?」


ぼくを左側から押さえつけているおじさんが聞いてきた。

大事なものが入っているのか、胸のあたりでカバンを抱きかかえている。


「え、あの、いや」

うまくしゃべれない。

「ごめんね、こんなに強く押されると思わなかったものだから」

今日も負けだ、と聞こえたけど、なんのことかさっぱりだった。


電車がゆっくりと止まり、ぼくが降りる駅についた。

ゆっくりとドアが開いて、いろんな人が降りだした。


ようやく足が地面についた。指一本で持っていたカバンを持ち直して、

よろよろとホームに降りた。後ろの人も一緒に。


ぼくと同じ制服を着た、綺麗な人だった。

「すみませんでしたっ!」

と謝ると、その人はきょとん、とした後、くす、と笑った。


今日のこと、絶対、一生忘れないと思う。






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