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父のはなし

突然文章を書きたくなってしまった。

今日は本当はずっと小説を書いている予定だったんだけど、個人的にどうしても頭から離れないことが起きてしまった。なので、小説家らしく文章にして残しておくことにする。

強調しておくが、これから書くことは渋谷のパーソナルな話で小説業には一切関係がありません。あ、第25回電撃小説大賞金賞受賞『つるぎのかなた』の2巻は7月10日発売です。よしノルマ終わったな。もういい?


推敲はしない。頭の中の整理の側面が強いから。そして明確なオチを考えて書くわけでもないし、笑かそうとするわけでもない。繰り返すがこれは渋谷の個人的な話である。書かないと眠れないから書いただけの話だ。忘れてくれたっていい。そしてこの日記には死者が出てこないから、それも安心していい。こうやって客層に配慮するのも商業作家のサガかな。まあいいや。

父がいる。(あたりまえやがな)

渋谷の父はまあ仕事が出来る人だった。というか出来る人なのだろう。以下にぼやかした記号を並び立ててみるが、文字面だけ見るといかにもたたき上げの有能キャラって感じだ。小説に使えるかな。

父は大学を出てはいないが、30歳で課長になったりしていたし、勤めている会社がでかい外資に買収されても前線で働き続け、内部監査とかもやったりしていた。海外経験もないが、英語が話せる。中国語だってちょっとはイケたかもしれない。簿記は一級を持っているということだった。一級はなかなかすごい。渋谷は一瞬だけ会計のパッケージを触っていたので三級程度の知識しかないから、これがいかに雲の上の知識かということも分かる。

そして何より、几帳面でレスが早い。実際に社会人になってみて分かることだが、この二つは働くという上で非常に大切なスキルだ。

レスの早さ。そいつが有能か無能かを判断するとき、渋谷はまずメールの早さを気にする。忙しく有能な人間ほど、返事は早い。そして期限を守る。仕事を後回しにしない、溜めない、他人の時間を待ちにして奪わない。返事が早い人間は、そういう意識のもと仕事をしているんだろうという推測がある程度立つからだ。

几帳面。これは間違わないことが凄いのではない。ミスの無さは性格ではない。明確なスキルだ。ミスが無いということは見直しの時間が取れるほど手が早いということ、そして手が早いということは仕事のやり方が体系化されていることをある程度担保してくれる。

印象論にすぎず全てに当てはまるわけではないが、上記は渋谷が実際働いてみて感じた簡単な有能チェッカーだ。そしてこの2つを、父は簡単にクリアする。どんな頼み事をしても翌日には必ずこなしてくれるし、伸びるときは期限をしっかり切る。送られてきたドキュメントに記入漏れやズレがあったことは渋谷が25年生きてて一度もなかった。

できる人だ。

そんなだから、当然収入もある。歳を取ると親の年収と対峙する場面がいくらかあるが、「おいおいこんなに貰ってんのかよ……」と驚いたことは一度や二度ではなかった。畏敬の念を抱くと共に、「いつかこれを、自分が物書きの仕事をして越えてやりたい」と思ったことを昨日のように思い出す。今でもある、渋谷の目標のひとつだ。

有能。好きな言葉だ。いつもそうありたいと思っている。

だが父は企業人としては有能であっても、父親としてそうだったのかと言うと、それはちょっと首を傾げるところもある。

小さい頃、渋谷にはあんまり父の記憶が無い。有能ということは会社が父を求めると言うことで、つまりあんまり家にはいなかった。土日だってオフィスに出てたし、帰ってくるのは遅い。父が帰るのは渋谷が寝入ってからだ。たまの休みがあると、ずうっと溜めていた趣味の映画を見ているばかり。それを後ろから眺めていたことを今でも思い出す。お陰様でシナリオの類型は幼少期から英才教育を受けていたようなものだし、今なおシナリオだけは知っているが名前も知らない映画が何本も何本もある。

忙しい父だ。

だから、この人何のために生きてるんだろうとずっと思っていた。だってそうやって働いたお金は、子どもに搾取されていく。趣味に散財するわけでもない。当時は頭がおかしいと思っていたが、今なら分かる。

きっとお金を稼ぐ目的以上に、父は仕事が好きだった。

「昔は勉強したくてもできなかったからお前らには苦労させたくないんだ」とか「お前らが大学を出てくれたら後は好きにやる」とぐちぐち言っていたが、それが全部じゃないはずだ。だって渋谷も同じような照れ隠しをする。

僕も仕事が好きだ。というかちょっと狂ってるレベルだと最近気付いた。

今もちょっと手が空いたので遊べばいいのに、『つるぎ』のプロットを練ったり新しい企画を練ったり、試しに新しい小説の序文を書いてみたりする。じっとしてることができない。そういう仕事中毒な自分を鑑みると、血は争えないものだなと苦笑してみたりする。

昔は遠かった父が、今になってようやく等身大になってきた。すぐ感情的になるところは苦手だったが、渋谷も家を出て落ち着けば付き合い方も分かってくる。今となれば、あの人は一番身近にいる偉大な人だ。

そして今年の春、弟が大学を卒業した。(まだ海外の院に行くらしいが……)(費用は積み立ててあるらしい。お前絶対親父に返せよなマジで)

これで親父の建前、「両方大学出す」は一応達成された。どっちがどっちかは書かないが、兄弟で早慶を出たのはまあまあの恩返しなのかな。

大目標が達成され、あとは「父」ではなく「企業人」としてのひとりの人間が残る。まだ55歳だ。今の世の中、65までは働けよと言われている。中毒な父のことだ。きっと死ぬ一歩手前まで働くんじゃないか、と思っていた。

さっき、父から電話があった。

退職勧告を受けたのだという。

「来るべき時が来たって感じやな」「まあ覚悟してたわ」「もう働かんでもええからどうしよかなー」と父は穏やかに言う。本人の事情は分からないが、外資に買われてからは愛着がなく、辞めるきっかけを探していたと言っていた。十分な退職金が出て食うには困らないとも。

「そうか」と答えることが精一杯だった。言っている気持ちが全部かと言われたら、多分そうじゃないと思う。

分かるよそれは。俺だって馬鹿じゃないし色んな理由がすぐに考えられる。人の切り捨てが激しい外資所属だから。人を削る場合、年俸が高い者からにすべきだから。毎年色んな人が切られていったのを見てたから。もう金には困らないから。

でもそれは論理の問題であって、感情の問題ではない。当事者じゃないし、もう自立しているし、渋谷の生活に影響は起きない。

でもこんな終わりが、仕事にそれなりのものを捧げた者の末路だと思うと、胸が苦しい。

僕もいつまで書き続けられるだろうか。そしてその終わりはどんなものだろうか。もし全盛期に一兆部売り上げたとして、最後に仕事で書いたものが打ち切りだったら、僕は「来るべき時が来たな」「まあ覚悟してたよ」と誰かに言えるだろうか。あんまり自信が無い。

ただ、こんなしんみりしてるが、きっと書くこと自体は死ぬまで辞めないんだろうなあというのはなんとなく分かる。今この瞬間も傍らでプロットを考えているしな。破滅と分かってもやるんだよな結局。何が残るとか残らないとかどうでもいい……うん、そういうことだろう。

ここまで書いて分かった。

血というものを信じるなら、次にかかってくる電話で父が言うことは、多分こんな感じじゃないのかな。

「何でもええから次の仕事探してる」

「じっとしてられんねん」

「まだ働きたいなー」

諦められぬ55歳が腕一本で再び立ち上がる姿を、渋谷は少しだけ夢に見る。

何はともあれ、お父さん。お疲れ様でした。

あなたのことを尊敬しています。


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