LIGHT HOUSEが見れない理由

佐久間さんがプロデュースし、若林さんと星野源がトークする番組、ライトハウス。

オードリーのANNをずっと聞いていて、佐久間さんのANNに至っては、アルピーANN「ヘラクレス選手権」への出演時から欠かさず聞いている私のためのような企画(※)なのに、あんまり面白いと思えなかった、むしろモヤモヤするところが多かった。
正直にいえば、1.5倍速にして、飛ばしながら見た。


それはなんでなのだろうか、ということをずっと考えている。答えは出ないが、仮説はいくつか出すことができる。

仮説1
若林さんのことが好きであるが、彼の変化に追いつけないので、自分の理想とする若林さんと今の若林さんとの差が受け付けない。そして好きであることがアイデンティティ化している部分があるので、単純にそのことを認めることができない。

よく言われる鬱陶しい古参ファン現象だ。
あちこちオードリーの配信ライブで松永さんが強い言葉で批判をしていたことは、自分のことかとビビった感情含めて、記憶に強く残っているし、
若林さんは、この状態のファンに対して、(離れていくこと、離れずに文句を言ってくること含めて)よく言及している。

この仮説は当てはまっている部分は確実にある。
だけど、これだけで説明できない気もするのだ。
ラジオは面白いし、ちょっと上記の理由で心配していたが東京ドームは100%楽しんで多幸感に包まれた。

もう少し嫌なことを言うのであれば、若林さんがライトハウスでも言っていた「多様性って言っているやつが一番多様性ないんだ」みたいな言説については、まだ言っているのか、ちょっと古くない?と思ってしまう部分も結構ある。
そういう意味で、これだけで説明できるとは思えないのだ。


仮説2
若林さんと星野さんの繰り広げられるトークが「わかります!」「そうですよね!」という同調同調のトークばかりで、気持ちが悪いという説。

思いつく仮説の中で、唯一、上から目線でコンテンツだけを理由にできる、自分にとって都合の良い仮説だ。(だからこれに流れてしまいそうになる自分に歯止めをかけたい)

基本的に同調という話ぶりのことが気持ち悪いと思ってしまうことが多い。職場でお世辞を言っているやつに感じてしまう感情だ。
本当に同じこと思っているか?同調することで楽をしながら、相手に気に入られようとしてないか??と。
人と人なんだから、そんなわけないだろう!と思ってしまうのだ。で、会話である異常、少しだけ生じるその差異に着目して盛り上がっていくほうが自然なように感じてしまう。
もちろん、通常完全に分かり合えることなどない、人と人の会話において、奇跡的に分かり合えることがたくさんある、若林さんと星野さんの出会いと感動を楽しむものであることは理解している。

アイドルのラジオなどでよくあるが、「そうだよね!」だけで進んでいくことが非常に気持ちが悪いし、そこに媚を感じで聞いていられなくなるのだ。

自分の感情的には、この説に縋りたいところはあるが、どこか都合の良さを感じてしまうので保留する。



仮説3
シンプルに同担拒否。若林さんのファンとして、星野さんが祈られていることに対して、同担拒否の感情が刺激されていると言う説。

一番、自分にとって嫌な仮説であるが、だからこそ、これな気がしている。

思い返せば、「ひらがな推し」で小坂菜緒が若林さんの本(表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬)を紹介して「私と似ているなと思ったんです!」と言った時に、ものすごく嫌な気持ちになった。
瞬間的に、お前如き(年齢的な話)と若林さんが同じなわけないし、引き合いに出すなら「社会人大学人見知り学部」の方だし、本当にリスペクトしているとして「自分と似ている!」なんてことを恥ずかしげもなく、何の留保もなく意気揚々と言えることは、若林さんとの違っていることの証拠でしかないだろう!とムカついたことを覚えている。

書いていて思ったが、どうやらこれらしい。笑
色々と考えてみたものの、結局は同担拒否でしかなかった。


※私のための企画だ!私の気持ちを言語化してくれた!と感じる人がたくさんいることが彼らの凄さである。

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