強い人の種類


就活をしていた時に、自分の中に強い原体験がないことをコンプレックスに感じた。
毎日、どこかの企業のホームページを眺めては、自分の人生の中からなんとかカスっていそうな体験を探して、定食屋だったらテレビ局から取材を受けるレベルまでエピソードを盛って、その上で風が吹けば桶屋が儲かるぐらいの無茶な論理のつぎはぎをしていた。その度に強い原体験があって一本道で生きてきた人に憧れた。

思い返すと、強い動機を持っている人への憧れは昔からあった。
例えば、中学生の頃に兄弟を病気で亡くしてその病気を治したいから医者を目指す、とか、震災で辛い経験をしたことをきっかけにこんな悲劇がもう起きないようにと建築土木を学ぶ、とか。求める社会像と自分の生きる意味がリンクしている人はとても強く感じるし、不謹慎だけどそんなバックグラウンドに憧れを持ったこともある。
そしてそれは同時に、そこそこ裕福な家庭で愛情をかけて育てられ、健康な体で特段不自由なく生きてきた自分の恵まれた環境へのコンプレックスへと跳ね返る。(実は本当に恵まれていることをコンプレックスに思っている人は、実際にその格差を是正するように活動しているので、私はそこまで感じていないのかもしれないが。)
そのうっすらとした憧れとコンプレックスが、「で、あなたは結局何がしたい人なんですか?」と問うてくる世の中に反応してしまった。

でも強さはそれだけじゃない。
目的なくただ好きだという愛情だけで1つのことに熱中している人も強いし、憧れる。

creepynutsの武道館ライブでR指定が何度も言っていたのは、「俺らはただHIPHOPが好きなんだ」ということ。
未来予想図は武道館ライブの中でも一番強く印象に残っている。フリースタイルダンジョンがめちゃくちゃ流行っていた時期に、それを素直に受け取れない気持ちを歌ったものだ。

ダンジョンが終わり 世間の熱は下がり
冷やかし半分だった客足は遠ざかり
担がれた神輿 道端に置き去り   

R指定は当時、暗い未来を想像する。それは多分、テレビにめちゃくちゃ出て、ファンクラブ先行でもチケットは抽選になってしまうほど人気の絶頂にある今も、そういう暗い未来を想像しているのだろうと思う。でもそんなことは分かっていても、「ついてこいよ!」と背中を見せる覚悟がcreepynutsにはあった。
その背景にはラップが、DJが、HIPHOPが好きだという純粋な気持ちがある。R指定は何度も「元々HIPHOPが好きで、これで食えるとも思ってなかった。」「ラップを始めた瞬間に夢叶ってた」と過去を振り返る。

「で、何が実現したいの?」と聞かれる社会だけど、手段としてじゃなくそれ自体が目的になっている人に魅力を感じるし、そういう人が越境してすごいことをやっていたりする。

小説『桐島、部活やめるってよ。』の中で、運動神経抜群でスクールカーストで言えば桐島に最も近いけど、何にも情熱を持てないでいる宏樹が、映画部の前田に「映画監督になるの?」と聞くシーンがある。
前田「映画監督は、無理」
宏樹「じゃあなんでこんな汚いカメラでわざわざ映画なんか」
前田「でも時々、俺たちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画が繋がってるんだなって思う時があって。」

『桐島、部活やめるってよ』の中では、目的なくただそれが好きだという情熱を持っている人が強い。映画部の前田とか、野球部の主将とか。一方で、スクールカーストの高い人たちは桐島が部活をやめたというだけで、生活が揺らいでしまうほど、弱い。彼ら彼女らは目的なく好きだと言えるものがないから。

強さには2種類あって、今はそのどちらでもないけど、どっちに振るのかは大事なことな気がする。

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