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Virtual Memories

「抱っこして大丈夫かな……」
 男の不安そうな声がする。
「大丈夫、優しくね。頭をちゃんと支えてあげて」
 女性の言葉に背中を押され、小さなベッドに寝ている赤ん坊をゆっくりと抱き上げる。
 予想以上に軽い。ガラス細工を触るように慎重に手を動かす。
「上手じゃない。これから、たくさん抱っこしてあげてね」
 相槌を打ちながらも、視線はしっかりと赤ん坊を向いている。
 生まれたばかりでまだ殆ど視力が無いはずの赤ん坊も、まっすぐとこちらを見ている。
 泣くこともなく、とても穏やかだ。
――これが、自分の子供なのか。
 緊張か、感動か。鼻息が少し荒くなっている。
「かわいいね」
「ね、かわいいね」
 男は抱っこするのに慣れてきたのか、頭をなでる。
 赤ん坊は目を細めて笑顔になった。

 暗転。

 夏だ。蝉の声がうるさい。
 庭には、なみなみと水を張ったビニールプール。
「気持ちいっ!」
 視界の端から、男の子がプールに飛び込んだ。
 はじけ飛んできた水が体にかかる。
 溜めたばかりの水はまだ冷たそうだ。
「ほら、危ないから飛び込まないって約束したでしょ」
「いいからいいから。パパもはやくおいでよー」
 四、五歳だろうか。男の子が手を振っている。
「よーし、いくぞ」
 プールに勢いよく足を突っ込んで水飛沫をあげる。
「きゃぁぁぁ。やったなー」
 全身に水を浴びた男の子は、反撃しようと手元にあった水鉄砲でこちらに照準を定める。
 しばしの攻防のあと、突進してきた男の子に足を捕まれて倒される。
「やったー! パパを倒したぞ!」
 いつの間にか蝉の声が遠のいて、庭には笑い声が響き渡っている。

「ちょっと、風呂掃除したの?」

 笑い声に混じって、女性の声が聞こえた。
「ねぇってば。頼んだでしょ、風呂掃除」
 続けて、肩をゆすられる。
「いまからやるよ」
 右手を目の前に持ってくると、ジェスチャーをしてメニューを開く。
 再生中のアプリを終了すると、「シースルーモードに切り替えます」という機械音声がながれた。
 視界が切り替わり、場所は庭ではなくリビングになった。季節は秋だ。
 目の前には30センチほどのくまのぬいぐるみが置いてある。
 今日は息子の二十歳の誕生日だ。
 久方ぶりに帰省する我が子を出迎えるため、男は風呂場に向かった。

 2030年ごろだったか、詳しい年は定かではないが、「空間でのできごとをそのまま記録する技術」は男がまだ義務教育を受けていた頃に世の中に広まった。正式にはボリュメトリックキャプチャと呼ばれるらしいが、呼びづらいので世間ではもっぱら「キャプチャ」と呼ばれている。
 専用のセンサーを置くと、その周囲数メートルで行われていることがキャプチャとして残る。かつてはキャプチャを撮るには膨大な数のカメラが必要で、撮ったデータも容量が大きく扱いづらいものだったらしい。しかし地道なセンサーの改良と、データ圧縮技術の向上によって、キャプチャを取得するのは動画を撮るのと同じくらい日常的なものになった。
 これに並行して、MRグラスの広まりによって「モノにデータが紐づく」という概念が一般化した。モノをグラスでスキャンすることによって、対応するクラウド上のデータを呼び出すという概念だ。これによってかつてネットワークと繋がっていなかった全てのモノがクラウドと接続され、付加的な意味を持てるようになった。
 息子との思い出を記録したキャプチャは全て、息子の一歳の誕生日にプレゼントしたくまのぬいぐるみにリンクさせてある。

「風呂掃除して炊いておいたぞ」
 男がリビングに戻ると、妻がメッセージを読みながら肩を落としていた。
「どうした?」
「これ」
 手元に表示されているメッセージをこちらに投げてくる。
『ごめん、今日やっぱ大学の用事で帰れなくなったわ』
 受け取ったメッセージは息子からのもの。
「そうか、仕方ないな……」
 部屋の柱を見つめながら、小さくため息をつく。
「まぁ、元気ならいいさ」
 頭を掻きながら自室に戻ると、男は再びぬいぐるみをスキャンした。

 その夜、息子の好物だった人参抜きカレーを二人で食べていると、キャプチャシステムからメッセージが届いた。
『キャプチャ時間が10時間を越えました。まだ続けますか?』
 メッセージを見ると、男は「あ、忘れてた……」とつぶやきスプーンを置く。
「どうしたの?」
「いや、今日あいつが帰ってくるから朝からキャプチャセンサーつけてたんだけど、消すの忘れてた」
 男は手を顔の前に持ってくると、ジェスチャーをしてホーム画面を呼び出す。
 メニューからキャプチャセンサーの項目にあるトグルスイッチをOFFにする。

 そうして、世界は暗転する。



『最後に記録されたキャプチャの再生が終了しました。シースルーモードに切り替わります』
 無機質なメッセージ音声が流れ、世界が透明に変わる。
 目の前には煤と灰で汚れたぬいぐるみ。
 先程、俺が葬儀の帰りに消防署で受け取ってきたものだ。
 最期まで父が抱きしめていたらしい。
 そう言えば喪服のままだったことに気が付き、黒いネクタイを緩め、ジャケットを脱ぐ。
 全身を緩めると長いため息を付いて、薄汚れたぬいぐるみを持ち上げる。
「こんなもののために……」

 実家で火事があった。
 火はそれほど燃え広がらなかった。
 父は母を外に逃がすと、忘れ物を取りに行くと言って家に戻った。
 父が見つかったのはぬいぐるみが置いてあった父の自室ではなく、リビングらしい。ぬいぐるみの他にも、何か回収しようとしたものがあったのかもしれない。
 とにかく父は、捜し物の途中で一酸化炭素を吸い込んで酸欠になり、窒息死した。

 VRとキャプチャ技術によって、過去を鮮明に記録し、いつでも再体験できるようになった。
 生まれたときからこの技術が当たり前だった俺にとって、生活の大部分を記録するのは日常的なことだった。記録して見返せるから、日常の価値は大きく下がった。その時集中していなくても、あとで見返せばいい。録画できるテレビ番組みたいなもんだ。
 父親と過ごした時間も、いつだって簡単に呼び出せる程度のものだと思っていた。
 だから、もう二度と新しいキャプチャを記録できないということが、信じられなかった。

 数日後、消火活動の後処理が終わって、実家の様子を見に行けることになった。二階建ての一軒家で、いくつかの部屋は殆ど燃えずに残っていたから、家財などを確認するのが目的だ。
 目に見えるモノだけでなく紐付いたデータも確認するため、グラスには父が使っていたアカウントでログインする。
 するといきなり玄関横にある傘立てをスキャンして、目の前に天気予報が表示された。
「そういえば親父、こういうの好きだったよなぁ」
 家に入ると、あらゆるモノに紐付いたデータが表示された。
 トイレを覗けばトイレットペーパーの残り数が。
 キッチンでは最近に食べたものの写真と、おすすめの献立が。
 ありとあらゆるところに、父が生きていた頃に設定したデータが残っていた。
 父が見つかったというリビングは、所々に燃えあとが残っている程度。あまりに綺麗すぎて、ここで父が死んだという実感がわかない。
「さて、親父は何を探していたのかな」
 リビングを片っ端からスキャンしてみる。
 テーブル、椅子、食器、カレンダー、時計、旅行先で買った変な置物、写真立て。
 データが紐付いたモノはいくつかあったが、これといったものは出てこない。
「リビングにいたのはたまたまだったのかな……」
 一通り目につく物をスキャンし終えると、上着を脱いで椅子に腰掛けた。
 秋といってもまだ寒いとは言い難く、家の中で動き回ったためかほんのりと汗ばんでいる。
 いまだに煤の匂いがする家の中はしんと静まっていて、世界が止まってしまったように感じる。
 椅子に背もたれて大きく伸びをすると、ふとリビングの柱が目に入った。
 いや、正確には柱のキズだ。
 それは俺が小学校を卒業するくらいまで毎年誕生日に身長を記録していたもの。
 どうしてやめてしまったのかは定かではないが、おそらく成長した俺が嫌がったのだろう。
 椅子から立ち上がってそのキズを眺めていると、グラスのスキャンが走りはじめた。
『複数のキャプチャが登録されています。再生しますか』
 システム音声とともに、目の前にキャプチャのサムネイルが一覧表示される。
 キャプチャは全部で、二十個。
 心臓が高鳴るのを感じながら、最初のキャプチャを再生する。
「一歳の誕生日おめでとう。お前を抱き上げたあの日から、あっという間の一年だったな。さっきはまだ立てないのに無理やり立たせて身長測ってごめんな。パパ、こうやって子供の身長を柱に記録するのやってみたかったんだ、許してくれ。これから毎年、ここで身長を測ったあと、こっそりメッセージを残しておくよ。二十歳くらいになったら教えようかな。じゃ、このへんで」
 そこには、一年ごとに柱の前でキャプチャされた、父からのメッセージが残っていた。
 はやる気持ちを抑えつつ、キャプチャを再生していく。
「五歳の誕生日おめでとう。立ち上がるのが遅かったお前が今ではすっかり走り回るようになって、パパはとっても嬉しいです。すごく大きくなって、最近は抱っこするときに腰をやらないか心配。でも、お前が生まれたときにたくさん抱っこするってママと約束したから、お前が嫌がるようになるまではたくさん抱っこするからな。幼稚園の友達と仲良くするんだぞ。じゃ、このへんで」
 火事の中、父がリビングに探しに来たのはこれだろう。
 柱なんて持ち出せないのにどうするつもりだったのか。
 いや、きっと柱が無事なことを確かめたかっただけなのかもしれない。
 愛おしそうに柱のキズを眺めながら話す父は、とても穏やかな顔をしている。
「十五歳の誕生日おめでとう。去年から柱にキズをつけるのをやめてしまったな。寂しいけど、まぁ反抗期っていうやつなんだろう。最近は部活、すごい頑張ってるな。父さん仕事であまり応援に行けてないけど、試合の話を母さんから聞くのがすごく楽しみなんだ。お前はすごく優しい子だけど、試合の時は遠慮なく戦ってるって聞いたぞ。怪我しないようにがんばってな。じゃ、このへんで」
 俺は柱を背にし、父に向かい合って話を聞く。
 キャプチャによって鮮明に記録された父の姿が、年を追うごとに老いていく。
 気がつけば、残されたキャプチャのデータは残り一つになっていた。
「二十歳の誕生日おめでとう。お前が家を出て、毎日当たり前に会えなくなったのはまだ実感がわかないけれど、大学で元気でやってるならいいかな。今はすごい楽しい時期だと思うけど、羽目は外しすぎるなよ。ところで……」
 突然、父は柱を触ろうと俺の頭上に手を伸ばしてきた。
「いまは身長このくらいかなぁ……お前ももう反抗期じゃないだろうから、次に来たら測らせてくれよ。楽しみにしてるな。じゃ、このへんで」
 頭上に置かれた父の手のひらは、まるで俺の頭をなでているようだった。
 VRを通して、十数年ぶりに父に撫でられた頭は、たしかにそのぬくもりを感じていた。
 全てのキャプチャを見終えると、俺は実家を後にした。
 柱には、新しいキズがひとつ増えていた。

(了)

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