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僕とエヴァンゲリオン

この記事は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のネタバレが含まれます。ネタバレが含まれる割にはまったくもって解説も考察もない、誰の役にも立たない記事です。それでもいいよっていう人だけ続きを読んでください。


僕がエヴァンゲリオンと出会ったのは2000年。僕が13歳、中学一年生の時だった。
今思うと旧劇もすでに終わったあとで全然リアルタイムじゃないんだけど、良くも悪くもそれがポイントだった。リアルタイムで小学生のときに見ていたとしたら、ここまで刺さらなかったんだと思う。

当時はインターネット自体それほど普及しておらず、サブスクなんてもちろんなかった時代で、僕が初めて触れたエヴァンゲリオンは「フィルムブック」だった。フィルムブックというのは今ではあまり見かけないが、アニメの場面を切り取って漫画のようにした本である。クラスメイトだった滝沢くんがエヴァのフィルムブックを持ってきていて読ませてもらったのが、その後20年以上に渡って僕を縛りつけたエヴァンゲリオンという呪いの始まりだった。

フィルムブックと、当時6巻くらいまで発売していた漫画を読んで、僕はすぐにエヴァの虜になった。
小学生までの僕はいわゆる小説の虫で、とりわけミステリー小説が好きな少年だった。宮部みゆきの大ファンで、漫画はコロコロコミックとコナンを嗜む程度。そんな僕にとって、エヴァンゲリオンはまさに青天の霹靂であった。

まず、絵が良かった。それにエロかった。同年代の男性で、3巻でシンジがレイの部屋に行くシーンを何度も読み返した人は多いのではないだろうか。漫画でおっぱいを見たのは生まれて初めてだった。おっぱいを見たから、というわけではないが、僕は綾波レイが好きになった。あれは紛れもなく初恋だった。レイの儚さがたまらなく好きだった。ちなみに中学1年5組でエヴァ担当をしていた滝沢くんはアスカ派で、レイ派の人にはなかなか漫画を貸してくれたなったのを記憶している。

そして、絵以上にストーリーが衝撃だった。何が衝撃って、意味が分からなかったのだ。ミステリー好きの少年だった僕は、「物語っていうのは謎が最後に解けてスッキリして終わるもの」というのが当たり前だと思って生きていた。それが、エヴァはご存知の通り何にも意味がわからない。謎をそのまま放置するどころか、物語の終わらせ方すら意味がわからないのだ。こんな自由な物語があっていいのだろうか、というのが当時の感想だった。
それに、物語というのはハッピーエンドで終わるものだと思っていたが、旧劇エヴァはどうやらそうではなかった。あとメタ演出みたいなのにも衝撃を受けた。そんなんありなの?って。結果的に僕はバッドエンドとかメタ演出とかが好きになり、大人になってもヨコオタロウのゲームとかが好きな感じになった。
そして、なによりも当時、自分がその意味不明な物語から言語化できない何かを読み取って感傷に浸っているのにも驚いた。

とにかくこの時の経験から、元々物語好きだった僕の「物語に対する既成概念」みたいなのがとり壊された。その直後にKeyに出会ってKanon、AIRと経験する中で僕の物語感みたいなのが固まっていくのだけど、それは別のお話。

つまり、エヴァに出会うまでの僕の人生を序とすると、エヴァとの出会いはまさに屋上から降り立ったマリのような役割を僕の人生にもたらした。
人は14歳ごろに出会ったものを引きずって生きていくということを聞いたことがあるけれどまさにそれで、エヴァは僕にとって親のようなものだった。生まれて始めたふれたもので、正しさの象徴で、何があっても受け入れないといけない相手だった。

エヴァをアニメで見たのはその翌年、14歳の時だ。先輩からこっそりもらった謎の動画データで見た。余談だが、謎の拡張子のその動画データは、これまた謎の専用ソフトでしか再生できず、なんだか視聴方法までアングラな感じで興奮したのを覚えている。

14歳。シンジくんと同い年である。僕自身も人並みに思春期真っ只中で、「なんで生きてるんだろう」みたいなことを考えていた。もちろんゲンドウみたいな父親はいなかったし、大人のキスをしてくれるミサトさんも周りにはいなかったけど、それでもやっぱりシンジくんへの感情移入はすごかった。そして、僕はどこかシンジくんに自分を重ねたままその後20年以上を過ごすことになるのだ。

長々と書いたが、一言でいえば「エヴァという作品自体が僕にとって親であり、僕自身である作品」であった。正直、いわゆるエヴァの謎みたいなのにはあまり興味がなかった。人並みに考察とか解説とかは見て回っているけど、何度読んでも白き月と黒き月がどっちがどっちか覚えられなかったレベル。

それよりも、僕自身である「シンジくん」がエヴァという僕の「親」にどう扱われるのか、それによってシンジくんがどうなっていくのか。僕が興味があったのはそこだった。
なので、Qはめちゃくちゃ辛かった。シンジくんは登場人物からもエヴァ自体からも蔑ろにされていて、絶望して終わる。なんでそんなひどい仕打ちを受けないといけないんだろう。かなり落ち込んだ。でも僕にとってエヴァは「親」だから許したし、受け入れた。続きもあるんだと思って耐えた。
(ちなみにQについてはこの動画をみて内容に対してすごく腹落ちした。この方のエヴァ解説はどれも考察よりもテーマ性とかに寄っててすごい好きなのでおすすめ)

そして、シン・エヴァ。本当に見るのが怖かった。ここでシンジくんが報われなかったら、僕はどうなってしまうんだろうって思った。
エヴァらしい意味分かんないラストでもいいけど、それはそれで望むところだけど、それでも、って思いながら映画館に行った。生まれてはじめて、映画館に向かう途中で泣きそうになった。

そして、見た。結局何いってるのか細部はわからないことだらけだった。
だけど、ミサトさんはシンジくんを信じてくれていた。シンジはゲンドウとたくさん話をできた。そして最後のシーン、アスカも、レイもカヲルもいた。マリにかわいいっていって手をとって走り出すシンジ。

もうね、超ハッピーエンドじゃないですか。

エンディング中はずっと泣いてて何もわかんなかった。最後、駅のホームで幸せそうなシンジくんを見た瞬間に涙が止まらなくなって、CVが神木隆之介だったのも後で知った。正直ストーリーも半分くらいしか終えてない。実は途中トイレ行っちゃったし。
それでも、「エヴァという親」が「シンジくんという僕」に与えてくれた結末がハッピーエンドだったというのが、堪らなく嬉しかった。シンジくんがゲンドウに褒められたくて頑張っていたように、僕もずっとエヴァにハッピーエンドを与えて欲しかったのだとようやく気がついた。

エンディング中は脳内でずっと、「よかったね、シンジくん、よかったね」って言ってた。
今でもその時の気持ちを思い出して泣ける。

これでやっと、僕は14歳の時からずっとうじうじ悩んできた自分と訣別できる。新しい自分と向き合える。

これが僕のエヴァンゲリオンからの卒業です。

さよなら、全てのエヴァンゲリオン。


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