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The Last of Us Part II の感想とゲームで物語を体験するということについて

知り合いからMessengerで「ラスアス2やった?どうだった?俺はがっかりだった」と言われて、居ても立ってもいられなくてレビューを書くことにしました。途中までネタバレなし、途中から有りになるので、未クリアの方は注意してください。

ちなみにゲームのレビューを書くのは人生で初めてです。

さて、結論から言うと、人生で数回しか体験できないレベルに価値観を揺さぶられたゲームでした。
そして、私はいままで大量にストーリーをメインにしたゲームをやってきましたが、ここまでえげつなくゲームで物語を表現する意味を活かしたゲームに出会ったことはありません。
単純に面白いとか面白くないとかじゃなくて、これを体験しないのはもったいないと心の底から思っています。

さて、まずはゲームの型通りの紹介をしていきましょう。

The Last of Us Part IIとは

The Last of Us Part II(以下、ラスアス2)は2013年にPS3で発売したThe Last of Usの続編で、制作はクラッシュ・バンディクー、アンチャーテッドシリーズなどで有名なNaughty Dog。老舗のゲームメーカーです。

前作は山のように賞を取り、PS3を代表する傑作と評された作品です。特に、ストーリーがとても評価されていた要因だったこともあり、「あの完成されたストーリーをどう続けるんだ!?」というのが、みなが期待と不安をつのらせるところでした。

世界観としてはいわゆるゾンビパンデミックもの、ポストアポカリプスものでありながら、そこで生きる人間達のリアルな状況設定や、主人公をはじめとして登場人物の行動を生々しく描いた表現は、まるでその世界が本当に存在するような感覚をプレイヤーに与える本当に素晴らしいクオリティの作品です。
ラスアスシリーズはストーリーが話題にあがりがちなのですが、グラフィックも素晴らしいです。プレイ中にふらっと道端の建物に入るだけでも、パンデミック後の人間の営みを感じさせる細部まで磨き込まれた表現に感動することができます。
ゾンビ好きもですが、ポストアポカリプス好きが絶対にやるべきゲームです。

ちなみに本作はオープンワールドではなく、一本道ゲーです。最近は猫も杓子もオープンワールドですが、やたらとお使いをさせられるのに飽きた人にもおすすめです。あと、ゾンビものなのでホラーゲームではあるのですが、人間ドラマがメインなのでそれほどホラー要素は強くないです。たぶん。怖かったらごめんなさい。

まぁここらへんの紹介はいろんなサイトに書いてあるので、なぜ本作が心を揺さぶるゲームとなっているのかを書いていきましょう。

現実以上にリアルな体験

ラスアス2がなぜすごいのか。実はこれを完全にネタバレなしで語るのは鬼のように難しいので、かなり抽象的な表現になってしまうことをご容赦ください。

私はとにかく物語を体験することが好きで、ゲームも基本的に物語を目的としてプレイします。そのため、ゲームという媒体を活かした物語体験というのが好きで、ここ数年だと例えばダンガンロンパV3とかNieR:Automataとか東京クロノスとかがお気に入りです。

ゲームという媒体を活かした、とはどういうことでしょう。それは、真に一人称であるということだと思っています。我々プレイヤーは操作しているキャラクターと同化して様々な選択をしていくことにより、キャラクターの行動に対して責任を負うことになります。
選択とは、ノベルゲームのような直接的な選択肢でなくとも、例えば銃を打つとか、QTEで四角ボタンを押すとか、そういうのも選択です。プレイヤーがボタンを押すという選択をしたことが、物語を進めるわけです。

倒さなければいけない敵を倒したり、押さないと先に進めないQTEを押したことに何の責任が、と思う方もいるかもしれません。しかし、プレイヤーにはゲームをやめるという選択肢も常にあるわけですから、やはり敵を倒したのは「あなた」の責任なわけです。

実は、こんなことは私もいままでそれほど意識していませんでした。ゲームで敵を倒すのは当たり前だし、それはルールに則っただけだと。しかし、ラスアス2によってその考えが根底から覆されました。
ラスアス2は、上辺だけのストーリーの「閲覧」ではなく、邪悪なほどに心をえぐる「体験」になっています。そしてそれは、プレイヤーが操作キャラクターと一体になるというゲームの要素をこれ以上ないほどに活かしています。

正直なところ、このゲームはプレイするのが本当につらいです。レビューでは、途中で辛くてやめたというひとも散見されます。ラスアス2のテーマである「復讐」というのを真に体験するわけですから、辛くないわけがありません。

しかし、やはり私はこのゲームを最後までプレイして欲しいと思います。ラスアス2は賛否が明確に分かれている作品で、これを酷評する人の論理も私は十分に理解しています。特に前作のファンだった人は、なぜこんなに辛い体験をさせられなければならないのか理解できない方も多いでしょう。

それでも、ラスアス2は現実以上にリアルに復讐劇という物語を描いているのです。現実では決して体験できない仕組み(これがネタバレ無しだと説明できないのが本当にもどかしい)を用いて、その類まれなグラフィックも最大限駆使して、実体験以上の精度の体験をプレイヤーに与えるのです。

この対価として我々が得られるのは、自分の価値観というのがいかに脆く、移ろいやすいものであるかという認識です。このゲームの中で、プレイヤーは自分の価値観、正義感が180度切り替わる体験をします。
それは、間違いなく今後の人生に影響を与える体験となることでしょう。

ぜひ、プレイしてみてください。

ここで注意点を2つ。
ひとつは前作The Last of Usを必ずプレイしてから、2をやって欲しいということ。物語としては完全に続編であり、また1でプレイヤーが起こした行動も2の体験に組み込まれているという仕組みがあるため、1をやらないと2の魅力は8割減となります。
もうひとつは、間違ってもゲーム実況で済まさないで欲しいという点です。このゲームは、自分で行動する(コントローラーを操作する)というのが、最大の意味を持ちます。YouTubeで動画を見ても何の感慨もないです。絶対にやめましょう。(ちなみに私は全クリした上で、思い出にひたるために実況を見返しています)

さて、ネタバレなしの感想はここまで。
PS4持ってない人はこのために買っても損はないのでぜひ。もし本当に肌に合わずに絶望したら、他の面白いゲームをおすすめするので連絡してください。

脳みそがバグる体験(ネタバレ有り)

ここからネタバレありです!クリア済みの人だけ見てください。

ちょっとスペースあけますね。クリアしてない人は引き返してください。

はい、ここで見てる人は全員クリア済みですね。

さて、端的に本作をまとめると、前作の主人公を惨殺した憎き復讐相手を10時間以上プレイヤーに操作させて、本来の主人公の行動を全部後悔させるゲームでした。

前半でエリーとしての正義感に基づいてとった行動が、実は別の側面から見ると許すことのできない悪行であるという。とにかく自分の価値観がぐわんぐわん揺さぶられるゲームでした。

敵対する勢力をそれぞれ描く作品というのはよくありますが(有名なところだとガンダムとか銀英伝とか)、ラスアス2の特徴的な点は2つあります。

まず、それぞれの勢力が自分が操作するキャラクターであること。エリーとしてノラを拷問して殺すのも、アビーとしてノラに助けてもらうのも、操作するのは同じ自分なのです。現実じゃあどちらかしかできません。

次に、片方を全て体験させた上でもう一方に移行するという仕組みです。そしてそれを、物語を進めるまでプレイヤーに明かさないという意地の悪さ(褒めてる)。

前半、エリーを操作しているときの私は完全にノーストレスでした。もちろんジョエルを殺された悲しみはあるものの、私は復讐のために敵を殺し、最後は妊婦にまで手にかけました。とにかく、アビーを殺すことだけを目指して、正義の行いをしていたわけです。
そこで、プレイキャラクターが唐突にアビーにかわりました。あの時、私は本当にこのゲームをプレイするのが苦痛でした。アビーは憎き敵であり、殺すべき相手だったわけですから。アイテムひとつ拾うのでも、なぜアビーのためにアイテムを拾わないといけないのか、やりきれない気持ちでした

それが、ほんの10時間後には、私はアビーのことが好きになっていたのです。これに気づいた時、私は自分の脳みそに何かバグが生じたのかと思いました。このゲームはアビーを倒すゲームだ。そう思っていたのに、気づいたらエリーに対する憎しみが生まれていました

アビーとしてエリーと対峙した時、私は本当に自分の意志でエリーと戦いました。ついこの間まで正義と信じて疑わなかったエリーを、敵と認識していたのです。

この瞬間、私は自分の価値観というのが、いかに脆いものなのかを知りました。こんな体験は初めてでした。殺したいというような憎しみを抱く対象が180度変わったわけです。意味が分かりませんでした。

これは、きっとただ小説やドラマでこの物語を見ただけでは決して得られない体験だったと思います。エリーとして、ノラを拷問するためにボタンを押し、水族館で犬を殺すために四角ボタンを連打した経験があって初めて成り立つのです。アビーとして、見知らぬ子供を助けるために奮闘し、最悪の感染者と戦った経験をして、初めて価値観が変わるのです。

これはゲームでしか体験できない物語でした。

物語のラストは、正直いまでも咀嚼しきれてません。エリーとして、アビーとして、互いを許せない、許したい、という複数の人格が自分の中に存在しています。気分は多重人格者です。
しかしそんな状況の自分にとって、最も救いのあるラストであったと個人的には思います。

おそらくアビーとレブはファイアフライの本拠地に合流し、安息の場所を手に入れるのでしょう。復讐を果たし、その代償としての喪失を十分に味わったアビーは、新天地で幸せな生活を送ってほしいです。

一方、ギターを弾けなくなり、恋人にも去られてしまったエリー。彼女がその後ジャクソンに戻るのか、旅に出るのかは分かりません。しかし、願わくば彼女にも安心できる未来が待っていることを。

とにかく、面白い、面白くないといった尺度で測れない、The Last of Us Part IIは壮絶な体験でした。それは本当に、私の体験でした。

Part IIIとして続編が出る可能性もあるという記事も読んだのですが、きっとこの制作陣なら期待を越えるものを出してくれると信じています。その日を楽しみに。

おしまい

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