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ただ、似てると言われただけ

こんにちわ。


こないだお客さんがずっと言いたかったことがあると駆け寄ってきて。
何事かと思ったら「aikoに似てますよね!」って。

ああ、きた、久しぶりのこれ(笑)

同じことを昔、同じようなシチュエーションで言われたことがあって
aikoってどんな顔だったっけなあ と、当時ググったんですね。
aiko って打ったら すぐ下に
まあネガティブなワードが検索候補に次々と出てきたんです(なんか心苦しいのでkeywordは載せないことにします…)。
それを見て、
aikoが可哀そうで心配になった思い出があります。

声をかけてくれた人はどんな意図があったのか分からないけれど、どちらかというと、ポジティブな意味合いだったはず。

でもこのエピソードを周りに話すと、
「全然似てないよ!!!」と言われて。
この鮮やかなビックリマークのテンションが、より一層私のこころに淀みをつくる(笑)
安心してね!気にしなくて大丈夫だよ!!!
となんだか慰められているような気持ちになってさらに複雑になり、結果、心の奥底にそっとしまっておくことにしたのでした。

この一連の流れを思い出し、タイムカプセルをあけたみたいな気持ちになりました。
「似てるって言われたことありません?」
と聞かれて、返しにちょっとだけ躊躇。笑


この時代の大多数が認める圧倒的美女に似てると言われたのであれば
私は検索することなく、ただ喜んだのかな。

aikoが世界三大美女 みたいなものにランクインしてたら躊躇しなかったのかな。
だめだ、何を言ってもaikoに失礼極まりない。

いや、でも誰かに似てるというワード自体
似てる対象がどこの誰であっても 
私の感想は  無  かもしれないなあ。

様々な情報のせいで 色付けされていく。
無 だったはずのものに
色がついてく。

ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるか
やらないか、やらないか
Aをとるか、Bをとるか

生きていると様々なレベル感で選択が連続して
その都度、選んだ道の色づきが鮮やかになっていき
それが価値観とか個性とか そうゆうのをつくるけど

選択したものは ただ今見えてるだけで
選択しなかったものも 今見えないだけで実は存在してる みたいなことをよく妄想します。

こっちを選んだ自分の生きる時空軸と
あっちを選んだ自分が生きている時空軸と
どの選択も実は存在している みたいな
パラレルワールド的なものを想像することが好きです

打ちながらよく分からなくなってるんですけど、
でも、そうゆうのを想像して
自分の意志なんて大して意味なんてなくて、何かを捨ててもいないし選んでもいないという結論にいきつくのが好きです。
ただ、五感でこの瞬間をたまたまみているだけ。
全部あって 全部ない。

そしていま noteに文章を紡ぎながら
aikoメドレーを流して聴き入っている自分にウェルビーイングを感じます(笑)

おしまい
今日も全てに感謝です♡

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