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"夏の葬列"が思い出させてくれたもの

「男、こども、後悔、戦争、夏、道徳」

コロナで39度超えの高熱の中
寝床で必死に検索していたキーワード。

道徳なのか国語なのか、ずっとむかしに授業のどっかで触れた強烈な物語。
読み終えた後の、なんとも言えない嫌な感じだけ胸に刻まれていて、あとは思い出せなくて。
うろ覚えな記憶の一片一片を繋ぎ合わせる。

「後味悪い」

と追加しても、だめ。出てこない。

諦めかけた高熱3日目、
長い間意識にのぼることのなかった、静かな記憶をふと思い出す。
「白いワンピース、戦争、夏」

はぁ。でてきた。

【夏の葬列】

これだあ。
青空文庫で簡単に読めた。
主人公が長年の苦しみから解放されるかと思いきや、最後のオチで苦しみが2倍になって、救いようがなくなるお話。

あー、やっぱり後味悪い、とっても重い。



それにしても、こんなに高熱で苦しいのに、ご飯も食べられなくて辛いのに、
どうしたわけか、無性にとりつかれるようにこの物語を読みたい気持ちになった。
何かを見たとか、何かを聞いたとかのきっかけもなく、突然に。

それがとてつもなく不思議で
なんかもっと
高熱でぼけーとしたくなった。

高熱である必要はないか。

ぼけーとして
なんの意図もなく
なんの目的もなく
ただただ浮かんできたものを
みてみるって時間が
愛おしい。

生きてるんだか死んでるんだか
起きてるんだか寝てるんだか
よくわからんぼやんとした曖昧な時間が
尊い。

ピラティスはそうゆうぼやんとしたところに身を置くことができるもの。
はじめは必死にからだの細やかなとこをみるんだけど、部分をみるんだけど、そっから全体にもどってくるタイミングがある。
からだの調和に、いのちの調和に触れるタイミング。

ぼやんとしたそこに価値があると思うんだけれど
このあわいに価値を感じるひと、一体どのくらいいるんだろう。


じぶんはなんでもない、おおきな、とってもおおきな、いのちのいちぶにすぎないんだった~
ぼやーん

てなるのが、すき。

なんだか境目が曖昧な絵をみたい気分。


今日もすべてに感謝です♡

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