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映画 『違国日記』

2024年6月11日(火)

原作のまんがが好きで、とはいっても1回か2回しか読んではいなくて。大人になると何度も読み返したりしなくなるよね。子供の頃、中高生くらいまでは買ったまんが(小説でも)は何度も何度も読み返したのに。
とまあ、ふんわりした記憶しかないまま鑑賞。不安半分だったけど、まあ悪くない。原作は長編なので、かなり端折ってるというか。ほんの部分的ないくつかのエピソードを小箱に詰めたアソートメントというか。
原作に思い入れがあるファンにはかなり酷評されているみたいだけど、アタシは結構たのしめたな。ライトなファンだからかも。

<STORY>
両親を交通事故で亡くした15歳の朝(早瀬憩)。葬式の席で、親戚たちの心ない言葉が朝を突き刺す。そんな時、槙生(新垣結衣)がまっすぐ言い放った。
「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは決してあなたを踏みにじらない」
槙生は、誰も引き取ろうとしない朝を勢いで引き取ることに。こうしてほぼ初対面のふたりの、少しぎこちない同居生活がはじまった。人見知りで片付けが苦手な槙生の職業は少女小説家。人懐っこく素直な性格の朝にとって、槙生は間違いなく初めて見るタイプの大人だった。対照的なふたりの生活は、当然のことながら戸惑いの連続。それでも、少しずつ確かにふたりの距離は近付いていた。
だがある日、朝は槙生が隠しごとをしていることを知り、それまでの想いがあふれ出て衝突してしまう――。

公式サイトより

いい映画だなと基本的にはおもったけれど。違和感はいくつもあって、まんがのあの長さで描くからこその痛みや苦しみは、ずいぶんと薄まってるなあとか。原作未読で映画を見た人にはこれ伝わってるのかな、とか。
キャラクターとしては笠町くん、高代姉妹のお母さん、弁護士の人が全然違っていたので(見た目とか、演技が悪いとかって意味じゃなく)、まあ別の作品だしな・・・って上映中なのに誰にともなく言い訳してみたり。

端折ったエピソードの、残った部分の小ささと数の多さでこちゃってしちゃったのはもったいないね。盛り込むエピソードをガサっと減らして、その分じっくりじんわり描くとか、そういう風にしたら良さそうなのに。と、シロートは愚考したのであった。

リアル15歳の早瀬憩さんが15歳の朝ちゃんを演じたのはたいへんよかった。瑞々しいって手垢のついた表現で陳腐すぎる言い回しなんだけど、まさにみずみずしかったので他の言葉に置き換えられない。うん。高校生らはみなよかった。
あ、醍醐もよかった。槙生ちゃんは生きるの大変だろうけど、いい友達がいてよかったよ。
その槙生ちゃん。狼ではなかったけど、予想したよりよかった。やっぱガッキー可愛すぎるから。でも野良犬くらいにはなってた気がする。全然褒めてるようには聞こえないか。

観る前の不安のうちのひとつは、朝が軽音部で歌う曲が苦手なタイプだったらいやだなあということ。これは自分が音楽というか、ロックが好きだから好みが明確にあるので、逆に相入れない曲もあるのだ。
ただのわがままなので、そこはまあダメでもしょうがない。それで難癖はつけませんが・・・という気持ちでいたけど、そこんとこはまったく杞憂で済んだので、ああよかった! とホッとして、そのおかげで映画全体の印象が良いものになってる気がする。

何か他にもあれやこれや去来したおもいがあった気がするけど、何だっけな。とりあえず久しぶりにまんがを読み返してみる。いま3巻まで読んだけど、やっぱいいわ・・・。
映画関連の記事で読んだんだけど、作者のヤマシタトモコさんは物語の結末を決めないで描いてたそうで。映画化が決まった時点でまだ連載中で、結末をどうするかと監督が尋ねたら「決めてないから映画は映画で作ってくれ」という話になったそう。
結末を決めてないんだ~! まあ長い連載だとそういうもんなのかもしれんが、それで面白いものができあがるの、すごいなあ。




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