見出し画像

初マラソンからサブ3まで


2022年2月に挑んだ初めてのフルマラソンで
4時間15分29秒を記録したのち
2023年2月にサブ3(2時間59分13秒)を達成するまでの1年間を振り返りました。

僕がマラソンを始めたのは家でお酒飲んでゴロゴロしたり外に飲みにいったりして
休日は二日酔い、そんな自堕落な自分と訣別したかったからです。

妻からは白い目で見られ、ダラダラしている自分を俯瞰で見たら凄くカッコ悪いことに気づきました。

そんな時、先輩がお店をオープン
家から3キロくらいなので場所を確認しようと走ってみた。
200メートルでふくらはぎが攣り、
家に帰りバイクで再出発。

これはヤバいと体を鍛える事にしました。
お酒を控えて夜にジョグをする生活を開始。

夜のジョグを継続して
キロ5分はいけるなという感触をつかんだので鉄は熱い内に叩けマインドで
フルマラソンに参戦。
子供たちと僕の母と義両親が応援にきてくれました。


その時はサブ3.5くらいかな?
と甘い見通しでした。

マラソン参戦を決意した1月は月間100キロ超
12月はサボってます。



中盤まではキロ5分弱、しかし終盤になると
死神が現れました。
いわゆる30キロの壁です。

マラソンは徐々にキツくなるんじゃなくて気づいたらもう手遅れ、30キロ過ぎると足が動かなくなり脳と体が分離されたようにいくら腕を振っても思うように前に進みません。

そこからは地獄の時間、
体感的には1日いや1週間。

"身体中が痛い、もうやめたい"
"完走なんてどうでもいいしマラソンなんて一生やらない"
"とにかく家に帰りたい、お風呂の中でビール飲みながらYouTube見て、寝る前にカップラーメン食べて、暖かいベッドで眠りたい"

あと1キロ走ったらやめよう、
もうリタイアでいい。

心は折れかけていたけど応援に来てくれている家族、SNSで応援してくれた人たちのことを思い出すと
あと1キロ、あと1キロと重い足を引きづりながら走ってるのか歩いてるのか分からないスピードでゴールしました。

初めてのフルマラソンは達成感も無く
辛くて苦しかったです。

綺麗な右肩下がりのペース、
後半は歩いたり走ったり。


母と義両親はとても喜んでくれていましたが
子供たちは傘を杖がわりにして歩く僕をみて
"父さん可哀想"と
ウチワに応援メッセージまで書いてくれた子供たちをみて
このままでは終われないと思いました。



42キロ?3時間半くらいかな?まぁいけるか?
とか思ってた自分の甘さが恥ずかしくて情けなかったです。

でも前に進む為には自分の弱さと向き合って
現実を受けいれて考え方を変えるしかない。

翌朝は体がバキバキ、足の爪は内出血、手すりがないと階段も降りれないしトイレに行けば血尿が出た。

番茶みたいなオシッコが出たとき心の中で
これがフルマラソンか、すごい世界に足を踏み入れたなと一人トイレでプルプル震えました。

すぐにマラソンに関する書籍、YouTube、ブログで勉強を開始。
体が動かなくなったのはハンガーノック、足の痛みは筋力不足、血尿は内臓の揺れ。

走力が上がるにつれ
読む本のレベルも上がった。



やるべき事は分かった、あとはやるかやらないかだけ。

明日の自分を信じない、すぐやる。
まずは土台から
腹筋を鍛えるための筋トレ、プランク。
長時間体を動かし続けるためのロングラン。
脚を鍛えるための山ラン。

体幹トレーニングのアプリをダウンロード。
やってみる
腹筋が熱くなる、良い感じ。
ロングランへ出発
家から直線方向にひたすら進む。

途中で脚に激痛が走る、足を引きづり歩いて家まで帰る(約1時間)これは失敗だった。
とりあえずマラソンのダメージが抜けるまで家を起点に近所をグルグル走ることにしました。


週4くらいは家で体幹トレーニング
ジョグの日は公園でランジなど筋トレ


最大の課題は筋持久力の向上
とにかく脚を痛めつける、温室育ちの脚が悲鳴をあげるまで痛める。

3月はレース後のダメージもあり
あまり練習出来なかった。



初めの頃は足の裏が痛くなっていた、
(足底筋膜炎になりかけてたのかも)
ナイキフリーラン、ワラーチで走って足の裏を鍛えると同時に地面の感触をつかむ。

5月は最長の44キロを走る。
6月は異動があり忙しくて距離走れなかった。


期分けをして
春夏は山、峠、筋トレ。
とにかく基礎体力と筋持久力をつけて42キロ走れる体をつくった。

山ランはハムケツにも効いて
良い感触だった。


仕事が忙しく、時間がとれなかったので
この頃から出勤前の朝ランを開始。



夏の終わりからは登り坂ばかり走った弊害の
トコトコ走りを矯正するためのショートインターバル。

スピードが少し(ホントに少し)出てくるとロングインターバルと閾値走へ移行。

ポイント練習の設定タイムは
VDOTを参考。



シーズン3回はマラソン大会に出て
最後のレースでサブ3を達成する
そう決心した。

自身2回目のフルマラソンは
11月 下関海響マラソン。
スタート位置への整列、集団で走る感じ、知らないことだらけ
タイムは3時間15分04秒。

3回目は12月 赤穂義士マラソン。
このレースはぼっち参戦ではなかったので心強かった。
速い人が履くシューズ、ヴェイパーフライで
参戦した
タイムは3時間7分27秒。

フルマラソンを走ると
回復のため距離を走れない。


1月は300キロ達成。
2月は北九州マラソンに向けてテーパリング。



4回目はシーズン最後 北九州マラソン。
北九州は地元の友達が住んでるところ。
思い入れもあるしゴール後は迎えにきてくれる絶対に良い結果を出したい。

天気は微妙、でも自分でコントロール出来ないことを気にしても時間の無駄。
とにかく出し切ってサブ3を達成したい。

スタート位置に並ぶと前方に人、ひと、ヒト、
上空はヘリが旋回している。
スタートの号砲、ゆっくりと集団移動が始まった。
渋滞、焦る。
サブ3のペーサーはいるらしいが全く見えない。

ジグザグに走って前に出る、3キロくらいからバラけるがペーサーの姿は無い。
僕の時計ではキロ4分10〜15秒。
はじめの渋滞を考えればかなり離されている。でもここで焦ってペースを上げない、ハーフ地点で1時間30分以内ならイケる、ロング走を頑張ってきた、去年の自分じゃない。

10キロ地点、キロ4分10秒でも苦しくない、
サブ3ペーサーは見えないがこのペースでいけばサブ3出来るしペーサーにも追いつける。
沿道の応援が嬉しい、雨の中ノボリやウチワを持って声援を送ってくれる。

ひときわ大きな声が聞こえた
雨なのに傘もささない、2月にも関わらず
Tシャツのストロングスタイルのおじさん。
"あと30キロ、いけ〜がんばれ〜"
僕は反射的に
"長いわっ"とツッコむ。

周りのランナーからは笑い声が聞こえ
僕の横に数人入れ替わりきて話かけられる
"サブ3ですか?"と
いつのまにか集団を引っ張っていた。
"このままいけばサブ3いけますよ"
と僕は答える
周りのランナーは
"故障明けですよ"
"今年も雨でついてないですね"
と話はじめた。

たしかに前日のEXPOでみた歴代大会の写真はカッパきてたり沿道の人たちの髪が風で地面と並行だったり
北九州マラソンは呪われてるのかな。

コース終盤に友達が結婚式をあげた式場がある、僕は友人代表スピーチをして会場を涙の海へ沈めた。
その時なぜか涙がでそうになった。
それは10代の時からよく泊まりに行って
ご飯を作ってくれた友達のばあちゃんが亡くなったから。

37キロ過ぎ、脚が痛い。
集団から脱落者がでる。
はぁはぁ息が苦しそうな人もいる。

辛いのは皆んな一緒と自分を奮い立たせた。

前を走ってたランナーも歩いていたり、
脚が攣っているのか伸ばしたりしていた。

40キロ地点、2時間50分を切っている、
イケる、サブ3は間違いない。

ゴール前では声援が一層大きくなる
僕の人生でこれほどまで人に応援されたことがあったか、気持ちイイ。

2時間59分13秒でゴール
脚は限界、靴ひもに固定した計測タグをボランティアの方が外してくれる。
"ありがとうございます"
自然にお礼を言えた。



更衣室で着替えるとき顔が綻ぶ。
目標達成できて嬉しかった。

初マラソンから12ヶ月間
自分と向きあってきた結果が出た。
自分を信じて良かった、上手くいかないときも腐らず目標に向かって努力してきて良かった。

妻にラインをした "サブ3できたよ"
返信は "お疲れー" の4文字
もっと褒めてほしかった....。


マラソンを始めて自分に自信が付いたし考え方も前向きになりポジティブになりました。

生活面ではお酒を控えて、睡眠も大切にし、
時間管理も考え直した。
サブ3を達成したことも嬉しいですがそれまでの過程で創り上げた習慣こそが財産と感じています。

初めてランした時の酷さは忘れもしません
こんな僕でもサブ3達成
普段から頑張っている皆さんと繋ることができ
自分も頑張ろうという気持ちが湧き上がり
目標達成できました。

みんなありがとね〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?