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〈映画〉戦場のメリークリスマス

映画館にて。
坂本龍一の追悼上映だ。


『Merry Christmas, Mr. Lawrence』

スクリーンに英題が映し出されて始まった。

有名なテーマソングが坂本龍一作曲なのは知っていたけど、出演もしているとは、観ることを決めるまで知らなかった。

見る前の思い込みがもう一つあり、私はてっきりデヴィッド・ボウイが準主役だと思っていた。実際には、主役は4人いるようなかんじで、英題に名前が入っているロレンスがデヴィッド・ボウイじゃないことが予想外だった。

戦時中のサムライ精神。
切腹は「させてあげる」「させていただく」もの。俘虜(捕虜)になるのは恥なので、誇りを守るために自ら死ぬべきだ。気の緩みは“行”(断食)で正す。日本軍に捕えられたアメリカ兵の俘虜たちにはそのような価値観が分からない。

『愛を読む人』を観た時も思ったが、自分の戦争の知識のなさに呆れるし悲しくなってしまう。知識のなさからよく分からない部分があり、しかもそれは、どちらの映画でも重要な部分だった。私は学校の歴史の授業でなにを勉強していたのか…。

勉強というものは、あとから自らの勉強不足を知る(“不知の自覚”をする?)ためにあるのかもしれないな。

4人の主役のうちの一人であるビートたけしは、これが映画初出演だったそうだ。(坂本龍一もそう。)ビートたけし演じるハラ軍曹は、粗暴だが時折温かみを感じる陽気さを見せる。ぴったりの役だった。

そしてなんと言っても、デヴィッド・ボウイと坂本龍一の顔が美しい〜!笑
思い返すと、意外と2人のツーショットは少なかった気がしてちょっと切ない。


〜少しネタバレあり〜

俘虜になったセリアズ(デヴィッド・ボウイ)を暗殺しようとした兵士が、行動がバレて切腹するシーンがあり、ここが特に日本人らしいと感じた。

その兵士が切腹する直前、ヨノイ大尉(坂本龍一)に「あいつ(セリアズ)は大尉の心を乱す悪魔です」と言う。

ヨノイ(坂本龍一)への忠誠心から、切腹する覚悟をしてまで守ろうとする。別にヨノイはセリアズ(デヴィッド・ボウイ)に命を狙われているわけではないし、私から見ればセリアズにだけ対応がぬるい程度だ。しかし、国(天皇)のために命を捧げて戦っている尋常ではない状況下のために、小規模の単位でも命をかけて守りたい心理が起こるのだろうか…。

私にとっての「良い映画あるある」で、観ている時は「つらい〜〜〜良い映画だけど2回目はないな…」と思っているのに、1日2日経つと「また観たい」と思うようになっている現象。これが『戦場のメリークリスマス』でも起きた。

1度目は『ポンヌフの恋人』。こちらは隙あらば人に勧めている。

一度では感情の消化ができないときに起きるのかなぁ。(『戦場のメリークリスマス』はハラキリシーンカットver.があるとうれしい…。)

映画の感想をちゃんと(?)書いたのは初めてかもしれない。“断片的な言葉”で浮かんだ印象や気持ちを“文章”にするのって難しいですね。
でもまたやってみたい。


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