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スペイン聖地巡礼記録③

これは、2015年10月にスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの聖地巡礼を歩いた時の記録で、巡礼前から巡礼後の旅まで①〜⑤のシリーズです。こちらにまとめておこうと思い、お引越しさせることにしました。移動の自由が制限されて2年、旅への郷愁に駆られます。。。

③は、3日目に悲鳴をあげた膝の声を聞きながら、ただただ歩き続けた4日目のお話です。

2015年10月25日

少しでも休んで膝を回復させようと、
それまて以上に早く就寝したせいで、
午前3時に目が覚めてしまい
それから眠れない。

膝は痛みが若干治っていたが
消えた訳ではなく、
残り20kmを歩き通せる
自信はなかった。

暗いうちに出発するのは、
動けなくなった時を考えれば
危険極まりない。

そうこうしているうちに
前夜楽しそうに話していた
スペイン人グループも
続々と起き出して出発準備を始め、
巡礼最終日と気合を入れて
暗闇に消えていく。

前夜、足をひきずる私に
声をかけてくれた
アルゼンチンの女性は
日本人男性のパートナーとの間に
3人の子供をもつ人で、
背筋の伸びた人だった。

私の足を見て、
明日どうするのかを尋ねた。

「歩きたい。
でも、膝の状態によっては
無理かもしれない」

彼女は私にこう言った。

「歩けるなら歩きなさい。
 でも、無理なら
車を利用すればいい。 
 自分のスタイルで
挑戦すればいいのだから」

この言葉は私に深く刺さった。

今日は歩こう。
ただし、これ以上
膝に負担を掛けないように
Luggage Transfer Service
を利用しよう。
そう決めて出発の準備を始めた。

しかし、気がついた。

Luggage Transfer のチラシには
どれも前夜中に要予約と書かれている。

車で運ぶサービスの他に
人力や自転車で運ぶ場合もある。
そういえば、
人力車に荷物の山を積んで
弾いている人を
Gonzar で見掛けたぞ。
前日に予約を受けて、
Pick up & delivery の
配置を考えるらしい。

前夜は、全く動けなくなるかも
しれないないという不安で、
何かを確認しておこうなんて
思いつかなかった。
なんということだ…

巡礼者のひとりが、
アルベルゲのおじさんは8時には
ご出勤されるだろう
と言って出発していった。

朝6時から待った。待つしかなかった。
しかし、長かった。
8時を過ぎてアルベルゲから
全員出発したが、
おじさんは来ない。
9時、それでも来ない。

いつかは来るはずだが、
待ち時間を多くとることは、
その分歩く時間が
減ることを意味する。
今までのペースでは
歩けないのだから、
余計に時間は必要。


どうするか。


腹を括った。
立ち往生して人の
世話になることだけは
絶対避けるが、
できるところまで自力で進もう。
荷物を背負って、アルベルゲを出た。
もう陽は高く、9時半近かった。

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明らかにおかしな歩き方だった。
でも、歩けた。
前に進んでいる。
歩けるじゃないか。
どんどん人に追い抜かれるが、
関係ない。

カフェを通るたびに休憩し、
ゆっくりながら確実に前進していた。

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前夜までの雨は
完全に上がって空は透明な青空。
自分の足で歩いていることが
とても嬉しく思えた。

それを気づかせるための
膝痛だったのかと思えるぐらい、
自力で前進していることが嬉しかった。

膝の状態には充分に注意しながら、
このまま足を動かし続けていれば
今日中にはSantiagoに着ける。

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初めて見るサンチャゴの文字。

Lavacolla の飛行場の近くまで来た。
景色が、里や村から
街に近づいていく。

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そして、最後の中継地
Monte do Goze の
入り口の表示が。。

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4日目午後。
Monte do Gozoの丘を登る。
聖ヤコブが眠るカテドラルが
見える場所。

私にはどれがカテドラルか
分からなかったが、
この丘まで来れば残りは5km。
この足でも、
今日中にカテドラルまで行けるはず。

空港の滑走路の誘導灯をくぐり、
サンチャゴの市街地を見て安堵。

しかし、ここからが長かった。
全然あと少しではない。
アスファルトのアップダウンがあり
階段・段差もかなり多い。
左膝をかばう右足も
疲労が溜まってくる。

一体あと何時間かかるのだろう。。

この日は日曜日。
市内のお店は
ほとんどお休みだったが、
アイスクリーム屋さんを見つけた時
救われたと思い、迷わず飛び込んだ。

あれだけ牛がいて、
チーズやミルクは豊富なのに
1件もアイスクリームを売る店は
見掛けなかった。
お菓子メーカーの作る100円バーの
ようなものなら、カフェにもある。
新鮮なミルクが豊富にあって
視覚的にも牛の横を歩くのだから
フレッシュ・ミルクをたっぷり使った
アイスクリーム!なんて旗を立てたら
惹かれない人はいないだろう。。
アイスクリーム御殿が建つかも .....
これってビジネスチャンス !?!

道中そんなことがずっと頭の中に
浮んでは消えていたので、
初めて見たアイスクリーム屋さんに
入るのは
条件反射のようだったと思う。

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疲労で風光明媚な景色の写真を
取ることを
忘れてしまった場所は
いくつもあった。
しかし、アイスクリームの写真は
忘れなかった。
私は恍惚の表情だっただろう。。

エネルギーをチャージして
カテドラルを目指す。

そして、とうとう・・・
路地の向こうに
カテドラルの尖塔が見えた。

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この足で最後の20km、
荷物を背負って歩き続けたのだ!

もう歩けないかも、
とまで思ったのに、
荷物を持った状態では
膝は耐えられないと思ったのに、
自分の足で歩いてここまで来れた !!

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聖ヤコブが眠るカテドラルは
威厳に満ち溢れていた。

これまでいったいどれぐらいの人を
迎えてきたのだろう。
そして、どれぐらいの人が
たどり着く前に、
またはたどり着いた後に
命を落としたのだろう。。

日中は透明感のある青空だったのに
陽が傾く頃には雲が出てきて
カテドラルの目の前に立った時は
青空はすっかり隠れてしまった。

そこには、ガリシア地方の
雨が多く、やや重苦しいような
独特な空気が漂っていた。

カテドラルの前の広場
Praza do Obradoiro には
人が溢れていた。

大きな観光バスから
小綺麗な出立ちの観光客が降り
優雅にパラドールに入っていく。
または、旗を持ったガイドについて
カテドラルや博物館の中に
消えて行く。

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Praza De La Quintana キンターナ広場

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 これは Ayuntamiento 市役所


私が到着したのは
夕方の5時近くだったので
お昼のミサを終え、
シャワーも浴びて
スッキリしている巡礼者もいた。
私のように、
いま正に到着した巡礼者もいる。

いずれにしても、
歓喜と安堵と疲労が入り混じった
巡礼者の表情は輝いて見えた。

しかし、私はもう限界。
カテドラルが20時まで開館
という案内板は見つけたが、
巡礼事務所はどこにあるのか
何時まで巡礼者の報告を
受け付けるのか、
人に尋ねる気力は
残っていなかった。

前日に予約したパラドールに
チェックインし、
荷物を降ろし、シャワーを浴びた。
左足は引きずった状態で
もう歩きたくなかった。

が、カテドラル閉館の
8時までまだ時間がある。

巡礼事務所へは明朝にして、
カテドラルにお礼のお祈りに行こう。

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ここが最終目的地。
一歩進む度に膝が痛む。
しかし、こうして
カテドラルにたどり着くと、
膝を傷めたことも、
私に何かを気づかせるために
起こった必然だったのではないか?
という思いが
ふつふつと浮んできた。

距離を稼いだり、
110kmを歩き切ることだけを
目標にしたつもりはなかったけれど
歩き切るために必死になり過ぎて
大切にできていなかったものが
あったのかもしれない。

それが何なのか、今はわからない。
でも、何か意味のあること
だったように思う。

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観光客が、カテドラルの細部を
説明するガイドの話に
聞き入っている。

世界遺産にも指定され、
宗教・文化、また建造物として
偉大な価値を持つものだ。

でも、徒歩や自転車で
実際に巡礼した人とは
見えているものの色彩が
きっと違うのだろうと思う。

もっと正直に言えば、
同じであるはずがない!
と心で叫んでいた。

最後の20km辺りから、
とても身軽で
友達とおしゃべりを楽しみながら
ピクニック感覚で歩く人が増えた。

巡礼のマナーを守っていれば、
それぞれのスタイルで楽しみ、
小さくても明日へのエネルギーを
チャージできるのであれば
それでいいと思う。

自分のペースでゆっくり、や
体調に合わせて
途中バスを利用したり
荷物を誰かに運んでもらったり
するのもありだと思う。

その味わい方の伝統的なスタイルとして
全行程800km超から
巡礼証明書が発行される100kmまで
昔から何かを求めて
聖地を目指して歩いたり
自転車に乗るという行為が
存在するということだ。

多くの観光客を見て、
そんなことを考えた。

この日、まだ巡礼事務所には
行っていなかったが
夜のミサに参加した。

足を引きずって歩いていたアジア人は
きっと他の人の目を引いたのだろう。
シャワーを浴びて
荷物も持っていない状態で
well done と何人かから
声を掛けてもらった。

「あなたは本当によく頑張った。
 だから、巡礼者用の
Reserved の席に
座る権利があるわ」

そこまで言ってくれた人がいた。
そこには、途中少しだったけれど
一緒に歩いた人もいた。

スペイン語は一切わからなかったが
神父さんのメッセージは

世界からここに集まって
巡礼を果たした者たちは
世界に戻って慈悲と寛容の精神で
人々に尽くしなさい
ということではなかったかと思う。

もっと厳かなイメージを
持っていたけれど
実際は巡礼を終えた生身の人間が
今この世界で、
この先どう生きていくのかを
応援している、
といった空気があふれていた。

だから、宗教上以外の理由による
巡礼者にも
証明書を発行するのだろう。

宗教性・精神性だけではない、
何かを求めて歩く人は
緩やかに増えているようだ。
それを取り上げるメディアが
増えているような気がする。

昨日の新聞記者は、
「なにかモヤモヤするものを
取り払って活力を得たい」
という思いは
住んでいる国や環境に関わらず
現代の人類共通のテーマではないか?
なんて言っていたけれど、
巡礼への関心の高まりは
そのひとつの象徴なのかもしれない 。


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