向かい合ってすわるのではなく、隣にすわる
毎日Voicyを聴いている。パーソナリティは、たまに入れ替えをすることもあるが、基本的には固定。一時ずいぶんパーソナリティをフォローしていたこともあったが、トピックと声質の相性で、最近は減らす傾向にある。
そんな中、キングコングの西野亮廣さんのVoicyは不動の地位にある。もともとVoicyを聴き始めたきっかけも西野さんだった。プレミアムの会員にも登録しているので、通常回と3日に1回ほどのプレミアム放送でちょっとボリューミーだが、飽きることなく聴き続けている。
さて、その西野さんの5月2日の放送で、とても素敵なフレーズに出会ったので、今日はそのお話を。
4月に出版された「夢と金」から一つトピックを取り上げて解説するのが最近のパターンで、5月2日の回は「ファン創造の実例」として、顧客の中のファン(=応援のために商品・サービスを購入してくれるヒト)を増やす意味と方法について語っている。
その説明自体、とても説得力のあるものだったのだが、私の頭に大きく響いてきたのが「向かい合ってすわるのではなく、隣にすわる」という表現だった。顧客のファン化に情報を共有することによって共同創業者、または共同親権を持つ者という意識を持ってもらおうということだった。それが「隣にすわる」ということの意図だ。
あくまでもメタファーとして出てきた表現なので、一度だけサラッと通り越しただけで、それ以上触れられることはなかった。
この文脈からの意図は、向かい合ってすわるのは対立構造を生みやすく、並んですわると同じ方向を見ることになる。隣にすわれば、相手と自然に呼吸が同調するようになる。並んで歩けば(これは放送にはなかったが)自然と歩調を合わせる歩調同期が起こる。
ここで取り合えげるのは、Voicyの西野さんの説明を解説したいのではなく、この表現について、私が考えることを。
以前に大前研一さんがおっしゃったことで、いい話だとずっと頭に残っていることがある。「腹を割って」話す必要があったり、なかなか面と向かって話すのが難しいとき、相手を誘ってよく公園や川沿いを歩いたのだそうだ。記憶が正しければ、これは日本ではなくアメリカやドイツにいらっしゃった時のこと。日本ではちょっと難しいかもしれないが。相手は職場の同僚だったり、スランプに陥っている部下だったり、子供だったり。(自分で書いていて気づいたが、「面と向かって話す」ことって、どうしても緊張を産んでしまうということなんだ・・・)
向かい合ってすわると、対立しているわけではないのに、その位置関係から対立しているかのような心持ちになりやすいのだそうだ。並んで歩くと、自然と2人は同じ方向を向く。この、同じ方向を向いているという現実が、同じ目標に向かって歩んでいるということが身体で感じられるようになるらしい。それが、木立だったり川のせせらぎに包まれる環境であれば、リラックスもできて、重い話も少しずつ融けていくのだろう。
Voicyでは西野さんはメタファーとしてサラッとおっしゃっただけだった。顧客に自分のファンになってもらうために、自分が生み出そうとしている商品やサービスの共同親権を持つ感覚を持ってもらうことが大切。それが隣にすわるということ。
先日投稿した「脳の外で考える」の中にも解説があったが、一緒に何かを行動することは結束力を生む。一緒にすわる、一緒に歩く。もちろん一緒に食べる、も。
全文は新聞購読者に限られるが、このような記事もあった。
距離感を縮めたい人がいたら、そっと隣にすわり、並んで歩こう♪
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