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スペイン聖地巡礼記録④

これは、2015年10月にスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの聖地巡礼を歩いた時の記録で、巡礼前から巡礼後の旅まで①〜⑤のシリーズです。こちらにまとめておこうと思い、お引越しさせることにしました。移動の自由が制限されて2年、旅への郷愁に駆られます。。。

陽が落ち始めた4日目にサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。④は、到着翌日のお話です。

2015年10月26日

5日目。
引きずりながら強引に
20km歩いた足が
明朝どうなっているか、
とても怖かった。
取り敢えず最悪の状態には
なっていなかった。
痛みは昨日と同程度。まず一安心。

坂や階段は左膝に
体重を乗せないようにして1段ずつ。
とてもゆっくりだけれど、
歩くというか動くことはできた。

昨夜、ホテルの部屋から
雨音が聞こえていたけれど
空は暗く、雨が上がる気配が皆無。

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朝、傘をさして巡礼事務所を探し、
クリデンシャルを見せて報告した。

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巡礼事務所はこの奥
この時、巡礼事務所には
ひとりもいなかった。

そのとき事務所に
巡礼を終えたばかりの人がいれば
抱き合っていたかもしれないけれど、
朝の8時過ぎに到着する人は稀だから、
感動を分かち合える人がいなかった。
静かな終了だった。

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巡礼後、行きたい場所があった。
Fisterra ー地の果て。
サンチャゴから100km超の距離がある。
昔の巡礼者たちは、
かの地を巡礼の最終目的地として、
海で身を清め衣服を燃やして
古い自分に別れを告げたという。

この足ではサンチャゴの街にいても
動けないし、
博物館も足が気になって
気が向かない。
迷った結果、Fisterra までの
バスを利用して
足の休息&Fisterraの見学に決めた。

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途中バスを叩きつける雨と風に
茫然としながら
窓の外を流れる景色を
見ること3時間。
Fisterra 到着。

カッパを着て颯爽と岬に
向かう人たちの中で、
私はまた立ち往生。

座っているだけならいいのだけれど、
次に動き出す時に膝に激痛が走る。
緩やかに動かしていれば大丈夫だが、
動かしていないと
固まってしまうようだった。

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バス停から岬まで3Km。
雨も止まず、足元は石・草で滑りそう。
ここまで来たが、この足に
あと3Kmは遠過ぎた。

地元の小さなパン屋さんで
パンを買って食べながら
小さな街をゆっくりと
散策するしかなかった。

石畳が小さなアップダウンを繰り返し、
人1人がギリギリ通れるほど
細くて迷路のような路地。
お天気さえよければ、
海はきっと眩しいだろうに
今は雨雲が空を覆い、とても静か。

これが「地の果て」か。。。

現地滞在を3時間と考えていたが
それより1時間早いバスに
乗り込んだ。


サンチャゴに戻ると、
改めてカテドラルへ。
聖ヤコブ像にもう一度お礼が
したかった。

キリスト教徒ではない。
110km歩き切るつもりだったが、
それは叶わなかった。
でも、受け入れてもらえた。


この巡礼で私は何を得たのだろう・・・
今しっかりと言葉で表現できなくとも、
これからの人生の様々なシーンで、
曖昧だったことが
突然輪郭を持ったメッセージとして
浮かんでくるようになるのだと思う。

巡礼の路には、歩く人を浄化する
作用があるようだ。
ひたすら歩き続けることで
溜まっている心の垢が徐々に溶かされ、
終わったころには清々しさを感じ、
自分の中に既にあった答えが少しずつ
見えてくるようになるのではないか
と思う。

たとえば、本当はわかっているのに
一歩を踏み出せずにいたことに
挑戦する覚悟が固まったり、
時間をかけて一歩ずつ歩くことで、
人生の全てが変わる程の
一大事と感じていたことが
とてもちっぽけに見えたり・・

歩いている過程で
自分自身が浄化され、
潜在意識が
本質的な「答え」と向き合わされ
何かが言語化された
メッセージになった時
「答え」を見つけた
と感じるのだと思う。

歩くと答えが見つかるとか、
神の啓示が降りてくるとか、
そんなキャッチーで安易なことでは
決してない。

これが、今言えることだ。
見えてきたこと、聞こえてきたこと
はあるけれど
まだ身体の中に浄化しきれていない
モヤモヤが溜まって圧縮されて
痛みとして膝に残った。

この痛みが消える時が、
いつ消えるのかわかないけれど、
巡礼の完結なのかもしれない。

最後に、修道院を改装し
世界遺産にも指定されている
素晴らしいパラドールの
写真を何点か。
 

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