「しずかなインターネット」で公開していたテキスト集 序

ついカッとなってXにログインし、誰も聞いちゃいないお気持ちを書き込んでしまった。ログインせずアプリを消したまま何も見なければいいのに。魂が汚れていく感覚をひしひしと感じる。

Xの仕様が変化し、Xという名前になってからインターネットはずいぶん様変わりしたようだ。それまでなんとなくTwitterという空間に残っていた善なる者たちはそれぞれ、InstagramやTikTokなどのキラキラした蠱毒に渡ったり、YouTubeをいきなり始めたり、途中から投稿が途絶えてそのまま失踪したりした。

何が言いたいかというと、今のXに住んでいる人間のほとんどは善の魂が濾し取られた純全たる悪属性の者なのだ。
そしていいね欄という清流も枯れた今となっては、人々は運営に調整されたおすすめ欄を眺め、運営に調整された怒りの火種を投げられ、運営に調整された感動的な話で泣いたりする。

自分の発言は誰も見ちゃいないと思いながら、全てのつぶやきは誰かに覗き込まれているし、誰かに見られたいと願っているものの、運営にシャドウバンされている人間は誰にも見られないまま消えていく。このありさまは、さながら「パノプティコン」という建築の構想を意識させられる。あるいは、ジョージ・オーウェルがかつて描いた物語を。

かといって、Xから抜け出した人間が幸福でいられるかというとそうでもない。筆者はこれまでXから離れた先のSNSとして「note」「タイッツー」「misskey」「discordのかなり大規模なサーバー」などを見てきた。が、そのすべてに私は馴染めず、そっと消えていったのだ。

「個人間でメッセージをやり取りするアプリ」としてのdiscordは優秀である。また「普段考えていることや発信したいことを書き留めるサービス」としてのnoteもとても良い。だが、決してTwitterという世界の代替品になることはできなかった。当然といえば当然の話だが、自分がそのSNSから離れた先に友人や好きなアカウントの人がいないのである。アカウントは作ってあるけどログインしてない、みたいな状況が多々あり、大抵ゼロからスタートだ。そうでありながら、いままでTwitterで築き上げてきた関係を今更切り捨てることもできず、2足3足の草鞋になって行き詰まってしまう。そんな感じ。

あと、こういう小規模なインターネットの空間ってサービスが立ち上がった直後に参加してないと友人を作るのがメチャクチャハードル高い。新規の人にフォローされる確率もかなり低い。これも、みんなTwitterから友人と一緒に丸ごと流れてきているから当たり前なのだ。最初から身内の関係ができていれば新しく作る必要はない。そもそも、今のインターネットは「友達を作るために行くもの」ではないのだろう。

俺に人望がないという事実だけが俺を眩しく照らす。いっそ一思いに、この首をすぱっと断ち切ってくれ。死にたくはないけど、辛い事実を抱え込んだまま孤独に生きたくもない。

なんか色々怒りを書き込んでたら長くなっちゃったな。これでもまだ語り足りないけど、別にわざわざ脳に負荷を掛けてまで語ることでもないだろう。

なんか嫌な話書いてたら嫌になってきたな。

好きな31アイス発表ドラゴンにでもなるか。

ロッキーロード
ホッピングシャワー
チョコミント

好きな17アイス発表ドラゴンにもなるか。

チョコミント
ソーダフロート
グレープシャーベット

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