「違国日記」映画感想


「違国日記」を観た。


涙腺が壊れてバカみたいに泣いた。
映画が醸し出す雰囲気が
私の感性をピンポイントに刺激するから、
終始ずーっと泣きっぱなしだった。


原作を読んでいてストーリーの流れがわかるが故に、
すでに知っている先の展開を頭の中に浮かべてしまって
開始3分でもうすでに涙ボロボロだった。


今回の映画では、
BGMがない静寂に包まれた会話シーンが各所各所にあったのが印象的だった。

音楽がないからこそ、その会話がよりリアルに見えて、
本当にその会話の場面を横で見ているような、不思議な没入感があった。


槙生の言葉


「わたしは、決してあなたを踏みにじらない。

もし帰るところがないなら、うちに来たらいい。
今夜だけじゃなく、明日も明後日も、
ずっとうちに帰ってきたらいい」


同情とか好奇心のない、透き通ったその言葉に、
朝はどれだけ救われただろう。


人には誰だってきっと侵入してほしくない境界線があるだろうが、
その境界線を同情や好奇の心で無遠慮に超えてくる人間は一定数いる。

親を亡くしたばかりの朝にとって、そんな同情や好奇の視線や言葉は本当に負荷になっていたと思う。


そんな中で、
同情や好奇ではなく、ただまっすぐに「あなたのことを尊重する」旨を伝えてくれる槙生の存在は、
なんて不器用で尊いのだろう、と思って涙が止まらなかった。


人と人は違うこと理解して、
その上で、自分とは違う人間を尊重しようなんて、
簡単にはできないことで、だからこそ
決して器用とは言えないが、その思想を強く持って自分の思うままに生きている槙生に、惹かれるのだと思う。


槙生の存在は
この世の中は器用に生きたもん勝ちなのではないかという思想にブレーキをかけてくれる。

不器用でも、自分が生きたいように生きていいのだと、
ありのままの自分を封じ込めることなど、しなくていいのだと、そう思わせてくれる。


そう思うからこそ、
今回の映画で、えみりが朝に「同性が好き」とカミングアウトする前に、
槙生に相談していたという描写がなかったことは、
個人的にもやもやしたポイントだった。

えみりは、そんな生き方をしている槙生に影響を受けたから、
朝にカミングアウトしたのだと、私は原作を見て思っていたから。

ただもちろん映画は2時間という限られた時間で話を完結しなければいけないので、
しょうがないということは理解しているのだけれど、、

高校生の、汚れのない純粋無垢さとか、
限られた時間だけ着ることのできる制服姿とか
ただ今を楽しむ無邪気なラインのやり取りとかを見ていたら、
感極まって泣いてしまった。


朝の行動感情がすごく高校生のリアルだった。


あさ、新しくて綺麗で毎日必ず訪れるもの。


「15歳みたいな柔らかい年頃
きっとわたしのうかつな一言で人生が変えられてしまう」


そう言う槙生の気持ちが痛いほどわかると、思った。

朝は、繊細でまだ世界を知らず、見たもの聞いたものを吸収しやすくて、感じやすくて、
触れたら簡単に形が変わってしまいそうな、柔らかい年頃だから、
軽率に接することが、怖いよね、恐ろしいよね。


なんでヤマシタトモコさんは、
こんなにも人の感情を繊細に丁寧に描けるんだろう、と改めて思った。

映画の監督さんもヤマシタトモコさんの世界観を壊さないように、
すごく意識して作られたんだろうな、というのを感じる映画だった。


あぁ、映画の内容を全て振り返ろうとすると
感情が限界で疲弊しきってしまうから、今日はこのくらいにしておこう。

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