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感覚を活かして表現していくために必要なこと

ある日、娘が作った工作を見ながら、保育園の先生が言った。

「割ときっちりしてる方ですよね。これをやってって言ったら、そこからはみ出さずにその通りしようとしますよ。」

って。
娘の作品は、先生の作った見本を忠実に再現しており、それを見た私は、娘の作品の精巧ぶりに感嘆していたのだけど、それを聞いた、他の子供のママさんたちが、

「え!みゆきちゃんはこんなに自由なのに?!」

と、びっくりしていて、そのことに私がびっくりした。

その時は、びっくりされたことにびっくりして、何も言葉にならなかったのだけど、言葉にならなかったからこそ、自分の中で消化できず、何となくこの出来事は心に残ったのです。

人間の中にはいろんな面があるから、一概にこうだと決めつけるのは難しい。それでも、私は、「自由」という言葉で表現されることが多い。

でも、自由って何なんだろう?

私が自由に見られがちなのはきっと、一般的な型にはまらない暮らし方や働き方をしているからなんじゃないかと想像している。それともこの間まで金髪だったから?笑 まあそれもあるかもしれないけど、娘を松本と東京の2園に預けるとか、依頼されれば娘も連れて日本全国、そして海外にも行くところとか、そういう事実をもってして、「自由」という言葉で表現されるんじゃないかな。

ところが、学び方について振り返ると、娘の工作に通ずるやり方を取っているなと思う。

写真の勉強がしたいなと思って、スタジオライティングががっつり学べる写真学校に通った。モダンカリグラフィーが気になると思えば、モダンカリグラフィーを日本に持ち込んだと言われる第一人者の元に学びに行った。テーブルスタイリングが気になると、即お仕事につながるような知識を教えてくれる協会の門を叩いた。

そう。私が好きなことを学びたいと思ったら、体系立てて学べる、そしてその上で個性を大切にしてくれる場所を無意識のうちに選んでいる。

だから「表現」という意味でいうと、私は手当たり次第何もないところから表現できるタイプではなくて、これでもかと量をインプットしながらアウトプットを重ね、その分野の全体像が見えるようになった上で、自分の立ち位置を模索するというやり方を取ってきていることに、今回気づいた。まあ、私は自分をクリエイターだなんて思ったことがない人間だから、なのかもしれないけど。

感覚を活かして、それを行動につなげ、表現していくためには、知識が必要だ。感覚で生きているように見られがちな私からこんな言葉を聞くのは意外かもしれないけど。知っていることが増えれば、それだけ、表現の幅が広がる。カメラのf値を理解するだけで、表現は変わる。臨機応変に対応するためにも、今後の対策を練るためにも、知識は必要だ。だから私は、何か行動する前には、無意識のうちに自分が納得できるだけの知識を集めている(その知識が自分が行動するのに都合の良い方に偏っているという可能性はあるけど)

強く印象に残っている西野さんの言葉に、「行動するのに必要なのは勇気じゃない。情報だ。」というものがあるのだけど、まさにそれをやっているのだと思う。

だから私は、20代の頃は、何もできなかったんだなとも、振り返って感じる。世界がどうなってるのか、表現って何なのか、仕事って何なのか、漠然としすぎていて何も掴めていなかった。だから、自分の活かし方も、誰かの役に立つ方法もちっとも分からなかった。

時間はかかったけど、経験や知識のストックが溜まった今となると、コツコツやってきてよかったなあと思う。


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