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なぜ良い人に苦難は起こるのか?

私達は、常に罪を犯している。

意識的でなくても
知らぬ間に、人を傷つけているかも知れない。

傷つけてなんかいない、と思っていても
弱い人を前にして、手を差し伸べない、
という事も、罪かもしれない。

しかし、
法に触れる様な悪いこともせず、
なるべく、良い事をして
生きていこうと努力している人に
これでもか、
というほどの苦難が課せられるのは
なぜだろうか?

反対に、
人を傷つけ、騙し、盗み
大きな罪を犯しながら、
のうのうと健康に生活し
経済的に栄えている人もいる。


不公平な世の中だ。


ユダヤ教には多くのオキテがあるから、
私達ユダヤ人は、
毎日罪を犯している、と言える。

朝夕の祈りに、心を込めなかった、
聖書の勉強に精を出さなかった、
肉を食べた後、
すぐにアイスクリームを食べてしまった、
(肉と乳製品を同時に食べてはいけない)
困っている人を助けなかった、
など、挙げればきりがない。

ユダヤ人以外の人にとっては
罪というには
大袈裟過ぎる事かもしれない。

すぐに反省し、
オキテを守ると決意し、
行動すれば、問題ない。

しかし、信心深い人と言えども、
いろいろな、尤もそうな言い訳をして
なかなか、素直に自分の罪を認め、
行動を改めようとしない。

そんな時、
スピード違反で捕まったり、
車をぶつけられてしまったり、
熱が出たり、
という、小さな苦難が訪れたりする。

こんな時、
つい、ネガティブに考えてしまうけれど、
こういう小さな事件は、
実は、とても有難いものだと思う。

病気の時、苦い薬を飲むように、
怪我をしたら、
痛いけれど、まず、消毒するように
ネガティブっぽい事件は、
私達から、傲慢さや、我儘という汚れを
取り払ってくれる、
洗浄剤や解毒剤のような役目をしてくれる。


それでは、
もっと大きな苦しみに直面するのには
一体、どんな理由が有るのだろう?

自然災害などで
家や親族を失ったり、
避難生活を送っている方々の大変さは
計り知れない。

不慮の事故で愛する人を失い、
深い悲しみの渦の中で生きている人々は、
どんなに辛いことだろうか。

また、体の自由を奪われたり、
大病を長期にわたり患って、
痛みや、心身の不自由と共に
暮らしている人々の苦しみは、
健康な私には、わからない。


私自身の事を、語りたい。

23歳の時、
生後3週間の娘を亡くし、
夫や家族の様々な問題に直面した。


そして、
6年前に、23歳の次男を亡くした。

生きる為の、大切な何かが、
心の中で、ぷっつりと切れてしまった。

より良い、清い人間になどに、
ならなくて良いから、
次男と共に普通の人として
生きてゆきたかった。

次男が返ってくる為になら、
何でもする、と誓っても
それは叶わない、
と理解するのに、数年かかった。


なぜ、
良い人に、
苦難は起こるのか?

全ての人に、共通する
たった一つの答えはわからない。

以下は、
6年前に、愛する息子を失った
今の私が想う事に過ぎない。

何年もの間、毎日、毎秒、
悲しみ、苦しみ抜いて
やっと
自分の運命を受け入れた時、
世界には、
苦しみと同じくらい、
いや、それ以上に
歓びも、優しさも、美も
存在する事に気が付く。

苦しみや、悲しみは、乗り越えるものじゃ無い。
愛するもの居ない世界で、
生きるのは、苦しく、辛い。

それで良い。

そして、
歓びや美を感じても良いんだ、と
自分を許してあげられた時、
それまでの何十倍もの歓びに
包まれているのを、感じられるはずだ。

それは、
愛する人や、大切な物、
つまり、
苦しみという種に
涙の雨や、
想い、という肥やしを与え続けて
発芽し、育った、
特別な、
美に溢れた、
歓びの花の様なものだ。

だから、
これからも、
泣いて、偲んで、
愛の木を、育み続けようと思う。

やがて、大きな沢山の
優しさの実がなるだろう。

そして、

苦難は天からの最高の贈り物だ、
と思える日が、
待ち遠しい。





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