強くなりたくて
武道を始めるきっかけは人それぞれ。
私の場合は…
謎の羞恥心と罪悪感で縮こまって生きていた少女時代、ドラマに出てきた少女に強い憧れを抱いた。
袴を履いた女の子が、いとも簡単に暴れん坊の男の子を投げるのを見て痺れた。
格闘技とは違う涼しげな佇まいと美しい所作に、力ではない精神的な強さを感じたのかもしれない。
当時の私はコンプレックスの塊。自信がなくて、言いたい事を飲み込む我慢癖があった。
あらゆる感情とエネルギーを誰にも悟られないように封印していたように思う。
けれど4つ上の兄に対しては怒りを抑えきれず、ちょっかいを出される度に爆発していた。
世の中でイチバン嫌いな存在だった。
やることなす事全て癇に障って、早く家を出て行ってくれたらと願っていた。
喧嘩して泣かされる度に母に泣きつくと、「無視しなさい。相手をするからいけないのよ」と妹の私が嗜められた。
そして兄は特別扱いされているように見えた。
兄の為に買ってくる洋服や食べ物は私のものより上等だったし、家庭教師までいた。
ズルい‼︎
野良猫を拾ってきて世話は母任せ。
私が苦手だと知っててわざとカブトムシの幼虫を見せたり…
料理にはソースや醤油をやたらとかけまくり、カレーのルーと米飯をぐちゃぐちゃにしてから食べる。
無責任で意地悪で下品!
絶対に彼女なんかできっこない!
でも一生独身だったら将来私が面倒を見なくちゃいけない。
嫌いなくせに心配していた。。。。
ところが意外にも兄に彼女ができた。
遠距離だからか、毎晩のように長電話をしていた。何度注意されてもお構いなしで長電話をやめなかった。
するとある日、家の黒電話がピンクの公衆電話に変わっていた!
10円玉を入れないと通話できない。
しかも3分で切れる。
友達と電話するのに途中で切れないか冷や冷やしながら。
腹が立ってしょうがなかった。
なんなのコレ!
アイツのせいで私まで電話するのがイチイチ面倒になったじゃない!
私は平穏で静かな暮らしがしたいだけなのに…
毎日毎日同じ歌手の歌を大音量で聴き、勉強はせず、何かと問題を起こし、親に心配ばかりかける兄貴…
それを見ていたから私は親に心配をかけまいと、兄に見せつけるように優等生になっていった。
兄は高校を卒業したら意気揚々と地元を離れ、大阪に就職した。
兄の居ない生活は平和そのものだった。
でも離れて暮らすと不思議なもので、刺激のない日々が少し寂しくもあった。
ある時帰省した兄は元気がなかった。職場で昇進したのにそれが負担になってストレスを抱えていたようだった。
その後転職し、結婚もした。妹としてはすごく安心した。お嫁さんに感謝した。
後はお姉さんよろしくね。という気持ちだった。
結婚後は更に会う機会が減り…
ある時救急車で病院に運ばれたと連絡を受けた。精密検査で発覚したのは胆管癌。
あっという間に進行し、発症から1年もせずに他界した。
看護師をしていた私は終末期の患者さんを何人も見送ったけれど、兄のように我慢強い人は見たことがなかった。
腹水でお腹がパンパンに膨れ上がっている時も、はるばる見舞いにきてくれて有難う、道に迷わなかったか、と優しく声をかけてくれた。
そして葬儀の時、近所の人がたくさん弔問してくれた。人懐っこくて、子供たちにもよく声をかけて慕われていたらしい。
わたしは兄の何を見てきたんだろう。
と恥ずかしくなった。
47歳という若さで旅立った兄。
まさに人生を謳歌したんだと思う。
誰に何と言われてもお構いなしで我が道を歩み、太く短く生きた。
私がエキストラで映画に出たことを知った兄が、すごく嬉しそうにしていたと義姉に聞いた。
喧嘩していた頃、兄は兄で、真面目で面白みのない私に、「少しくらい羽目を外せよ!」と思っていたかもしれない。
あれから大分自由になった私のことをいいぞ、いいぞと、空の上でニヤニヤしながら見守ってくれているような気がする。
凛とした袴姿に憧れて始めた合気道。
相手と「気」を「合わせ」なければ技はかけられない。
強くなるとは、相手に反発するのではなく、
気の流れを読めるようになり、誰とでも和合できることかもしれない。
色んな稽古生がいる。
気が合う人、なんか苦手って感じる人。
どんな人にも合わせていくことを身体を通して学んでいる。
「力」に対して「力」を使うのではなく、
結ぶ、逃す。
争わない試合のない型稽古。
私の内側に封印していたエネルギーが、稽古を通して昇華していくようだ…
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