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笑顔

noteの企画が「#習慣にしている事」との事。noteを始めたばかりで何を書こうかと少し考えていたのでこれ幸いと考えてみることにした。

私の習慣?なんだろう?
続けていてある種、信条のようになっていることだろうか?
それならば笑顔だ。

ともかく、笑顔でいることが大切だと思う。
これは女の義務。絶対の第一条件。
なんせ、「和顔施」と言う仏教の教えもあるくらいなのだ。笑顔でいることは、自分も周りも幸せにするって事なんだろうと思っている。中でも女の笑顔ほど価値のあるものがあろうか。

「鏡の前で笑顔の練習をするんよ、すぐには上手くならないから」
まだ学生の頃、母から習った。彼女は声を出して笑っていたからただ単に明るい人だと思っていたけど、後に答えたくない質問や場の雰囲気を良くするために「あはは」と声を出して笑っていたのだと言っていた。処世術だったらしい。

私の笑顔の練習は、下校時の夜の列車の窓を使って始めた。周りに乗客がいない時を狙って練習を繰り返す。自分ではニッコリ笑えていると思ったのにニヤついているだけだったり、大笑いのつもりだったのが驚いているような表情だったりしたものだ。筋肉をイメージの通りに動かすのはスポーツと同じで努力しかないんだなと思わされた。
同時にテレビに映る女優やモデルやアイドル達の笑顔に驚いた。もちろん元の顔の作りは違うにしても、こんなに美しく可愛らしくいられるのは相当な努力なのだろうと言う事に思い至ったのだ。5分、10分、人気者はもっと長く映るが、ずーっとあの笑顔をキープ出来るなんて、本当に凄い事。私など顔の筋肉がプルプルと震えて、もたなくなった事が何度もある。

そんなわけで人様よりきっと笑顔の学生時代を過ごしていた私だが、鏡を見てその笑顔が全く無くなってショックを受けたことがある。
「ママは笑顔でね」
と言われる産後だ。
ともかく、笑顔ところの話じゃないくらいに体力気力ともに削られて、気付いたら般若のように恐ろしい顔になっていた。毎日毎日子どもを怒るし、不機嫌だった。それが日常になってしまっていた。
鏡の中の私は、何も意識しないと不機嫌な顔。笑顔を意識すると普通の顔というなんとも残念な状態に成り下がっていた。頑張って笑顔をイメージしてみても筋肉がついてこないから口角が上がらず普通の顔どまり。まして笑顔などキープできるわけがない。

あまりにショックを受けたその日から、私は再び学生時代の様に笑顔の練習を始めた。
毎日コツコツ。
鏡の前でコツコツ。
日に日に筋肉は戻り、口角は少しずつ上がり、私は笑顔を取り戻した。
努力で。
そう、女が40過ぎて笑えていたら、それは努力の賜物って事だ。若い人には分からないだろう秘密の努力なんだよね。

そうして、今。
私は普通に笑えるようになった。
目尻にシワは増えたけど、笑えている。

そうして。これはおまけだが、笑えない人を不機嫌と思う事もなくなった。彼ら彼女らは筋肉を動かせないだけで機嫌が悪いわけじゃ無いと、かつての自分から理解出来るからだ。

私の毎日の習慣。
秘密の習慣。
それは、鏡の前の笑顔の練習です。

秘密を晒したので、良いと思ったらスキしてくださいね。

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