数学の時間にちゃんと教えてほしいこと
ALOHA! みゆひょんでーす♪
中野信子さんのご著書を拝読していたら、この記事が紹介されていました。
知っているお話ではあったのですが、最近これと似たようなことで思うところがあったので、書かせていただきます。
数学の復習ですが難しい話ではないのでお付き合いのほどを
数学で記号論理って習うじゃないですか。今のカリキュラムはわからないのですが、わたしは高校で教わった覚えがあります。
まず命題というものがあって、これは「真偽の判定が可能な言説」でしたよね。「AならばB」というやつです。
命題には、その逆・裏・対偶というのがありました。
逆は「BならばA」。裏は「AでないならばBでない」。対偶は「BでないならばAでない」です。
ある命題が真であるとき、その対偶も真です。しかし逆や裏は真とは限りません。
たとえば、「ネコならば哺乳類である」という真の命題で考えてみましょう。
対偶は、「哺乳類でないならばネコでない」。真ですね。
逆は、「哺乳類ならばネコである」。ネコでない哺乳類はたくさんいますから偽ですね。
裏は、「ネコでないならば哺乳類でない」。ネコでないイヌは哺乳類ですから偽ですね。
このように逆や裏は必ずしも真でないどころか、多くの場合偽だったりします。元の命題が真であるときにその逆や裏が真になるのは、同じことを言い換えているときだけなのです。
たとえば、「偶数ならば2の倍数である」という命題の逆は「2の倍数は偶数である」、裏は「偶数でなければ2の倍数でない」となります。これはどちらも真ですね。「偶数」と「2の倍数」がまったく同じものだからです。
安西先生も本田圭佑さんも正しいことを言っています
ここまでが準備です。ついてきていただけてますでしょうか。努力すればできるはず!
では本題なのですが、努力と似たような感じで使われる言葉に「あきらめない」ってあるじゃないですか。
例の安西先生の名言「あきらめたらそこで試合終了ですよ」が、オリンピックに絡んで盛んに引用されていました。
また本田圭佑さんが最近、「成功している人はあきらめなかった人たち」と子どもたちに説いています。
この2つは名言だと思うと同時に、命題としても真ですよね。
試合でなくても人生でも何でも、あきらめたらそこで終了です。
成功している人はあきらめずにやり続けたから成功しているのです。
あたりまえと言えばあたりまえなのですが、ちょっとハッとさせられる言葉です。人間、こういうことを忘れがちなのですね。だから名言だと思うのです。
しかし裏や逆は間違っていて弊害すらあります
しかしながら、ちょっとした弊害もあると思うのですよ。それは、こういう名言を聞くと、逆や裏も真だと考えてしまうおっちょこちょいな人たちがいて、そういう人がわりとリーダー層にもいたりするということなのです。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」の裏を取れば、「あきらめなければ試合は終了しません」となりますが、そんなのは嘘ですよね。残り1分で20点差がついているバスケの試合もあきらめなければひっくり返せるかというと、まあ無理ですね。残り1分で10ポイントならわずかながらチャンスはあると思いますが。
でも、こういう解釈をする人がいるのです。スポーツの試合ならいいですよ。あきらめずに棒に振る時間は数分から数時間程度ですから。でも、これを仕事とか夢とかそういうのにあてはめちゃうと相当まずい気がします。
「成功している人はあきらめなかった人たち」の逆は、「あきらめなかった人は成功する」ですが、そんなことはありません。あきらめずに人生を棒に振った人たちもけっこうな数に上ると思います。
でも、こういう解釈をする人がそれこそたくさんいるのです。こちらは試合よりもタイムスパンが長い分、罪が大きい気がします。
現実的には、成功者はあきらめなかったら成功したというよりも、次々とあきらめて脱落していく人たちがいたからこそ成功者になったんだという身も蓋もない話になんですよね。とはいえ、子どもへの教育上、こんな話はしないほうがいいとは思いますけれども。
わたしが数学の時間にしてほしいのは、裏や逆が必ずしも正しくなく、むしろ間違っていることが多いことを、このような例題で教えてほしいなあということでした。
長文すみません。たぶん途中で読了をあきらめた方がたくさんいたと思います。あきらめずにここまで読んでくださったあなたに成功を約束できないのが本当に残念ですが、とても感謝しております。ありがとうございました。
自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。