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もしも炎上したら?

ALOHA! みゆひょんでーす♪

発信している人にとって炎上って最もこわいことの1つですよね。でもよほどの大火災でもなければ、ものは考えようかもしれません。


大昔にブログが炎上してチキンになっていましたが・・・

noteは基本的にコメント欄が炎上しないように主催者さまが環境作りをしてくださっていますが、あなたがクリエーターとしてnote以外でも発信していくのであれば、炎上する可能性がゼロということはありません。発信が尖れば尖るほど、その可能性は高まると思っていたほうがよいでしょう。

わたしも大昔にブログで1回だけ炎上したことがありまして、あのときは精神的にしんどかったなあということを思い出します。

それ以来、そもそも差し支えない内容なのにその上エクスキューズまでつけて書くクセがついてしまったのです。しかし先ほどたまたま岡田斗司夫さんのYouTube(2分50秒あたりからご覧ください)を見ていまして、「炎上上等!」と思うようになりました。

「荒れるコメント欄」はどういうところか?

あえて人を傷つけようとか、あえて極論を書こうとか、あえて間違ったことを書こうとか、あえて炎上させて集客しようとか、そういうことでないのであれば自分の思うことを書けばいいだけなんじゃないでしょうか。

というのは、上の動画で岡田さんがおっしゃっていますが、荒れているコメント欄というのは「普段友達がいない人たちの連帯の場」なのです。そういう場では、あなたの味方も同調圧力でものが言いにくくなり、誰も助けてくれないのだと。

これはわかる気がします。炎上している友人のコメント欄に友人をかばうコメントを書いたことがあるのですが、その友人以上の罵詈雑言を浴びせられて、こんなやつらとまともに話はできないなと思いました。それで友人をかばうのはあきらめたのです。

それはたぶんそういう人の知能が劣っているとかそういう話ではなくて、その人がやっと見つけた居場所を踏みにじろうとすることに対する必死の抵抗だったのだと、今は思います。

ねらった炎上でなければ、あなたは人の役に立っている

なので、繰り返しになりますが、あえて人を傷つけようとか、あえて極論を書こうとか、あえて間違ったことを書こうとか、あえて炎上させて集客しようといった意図がないのに突然炎上しちゃったときは、こう思えばいいのです。

「わたしは今、友達を作れない人たちのために、その人たちが連帯できる場を提供しているのだな」と。

上から目線でそう思ってはいけません。「友達を作れない人って、結局は自分も多かれ少なかれ同じような人間なんだ」と思うことです。だからそういう人たちの役に立てたことをうれしく思うべきなのです。

「ああ。わたしを批判することで、この人たちは喜んでくれているんだな」と思えば、何も炎上したぐらいで気に病むことはありません。

いちいち反論さえしなければ、1週間以上続く炎上なんてまずないですし。友達が作れない人たちは基本的にかまってちゃんですから、かまえばかまうほど炎上は続きます。

逆にXとかでクソリプにわざわざ反論リプする人たちは、それがわかっていて、炭火が消えそうになったら団扇で扇ぐようなことをしているのでしょう。

脅迫は警察に相談

ただ殺害予告とか暴行予告みたいな明らかな脅しに対しては、さすがに連帯の場を提供しているなんて悠長なことは言っておられません。

おそらく脅迫として処理してくれると思いますので、警察に相談しましょう。

自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。