古都には雨が似合う――こんなタイトルの記事は自分でも読みたくないと思うのに、ついつい書いてしまうという悪い例
ALOHA! みゆひょんでーす♪
わたしは法人向けのオウンドメディアやビジネス書のライティング(ゴースト含む)をしています。自著も10冊ぐらいあり、そのうち3冊は重版がかかったりもしたのですが、売れた本はまだありません。要するにバズったこともないし、バズらなくても何とか食べられる程度には稼げるというお仕事をしているわけです。
なのでバズる方法を書くことはできませんが、何で自分がバズらないかはなんとなくわかります。そこでバズりたい人のために反面教師的な記事を書こうと思った次第です。
ちなみに法人向けのライターのほうが着実に稼げて、しかも単価が高い分稼働時間が少なくて済むので、そちらのほうがいいと思うのですけれど、そうなる方法を書いても、それこそ一切バズらないのです。
どうも世間の人はBtoBのノウハウにはあまり興味がないみたいです。
視聴率でドラマを語るとかうっせー
リードが長すぎる上に愚痴ばかりですみません。こういう前置きが長い記事もまずバズりません。映画の早送りが問題になったりしていましたが、いまの人は結論を早く知りたがるので、こういう前置きが長いのは嫌われます。漫才もフリがないとダメですが、フリが長すぎると聞いてくれません。サンドウィッチマンはその点絶妙です。
まだ前置きだったりして恐縮です。というか、このパラグラフもまだ前置きです。いまだに読んでいる人は、そんなにも「バズらない記事がどういうものを知りたいのか」と思うほどです。
まあ視聴率の話なんですが、わたしは「君が心をくれたから」というドラマが好きでして、けっこう気に入って見ていたりします。
ところが世間には視聴率が低いというだけで、このドラマをけなすメディアがたくさんあります。最近では「どうする家康」もそうでした。
人にはそれぞれ好みがありますので、嫌いなら嫌いでいいと思うんですけれど、視聴率が低いというだけでけなすのはやめて欲しいのです。そういうのは気に入って見ている人に失礼だと思うんですよね。
はっきり言って「うっせー」
視聴率1%でも約120万人の視聴者いるわけで、先週のだって6.9%、つまり700万人ほどがリアルで見ているのです。それをけなすのは700万人を敵に回しているということがわからないんでしょうか?
3人ぐらいがクレームの電話をしてきたらビビるくせに、平気で700万人を敵に回す神経がさっぱりわかりません。
しかも実際に見ているのは700万人どころではなかったりします。TVerで見ている人もいるし、SNSではけっこう好評だったりするので録画で見ている人がかなりたくさんいるはずなんです。
そう。視聴率を下げているのは、わたしのように録画で見ている人間だったりするので、それはホントごめんなさい。
録画している人数もたぶんデータとしては取れると思うのですけれど、録画している人はほぼ全員CMをスキップするので、そんな数字はテレビ局にもスポンサーにも意味がないのでしょう。
学生時代から雨が好きだった
さて、どうして「君が心をくれたから」の話などしているのかと言うと、雨について書きたかったからです。
見ていない人にはさっぱりわからないと思うので補足しますと、主役が永野芽郁さんで、その恋人が役が山田裕貴さんなのですが、永野さんが演じているヒロインが逢原 雨という名前なんですね。
キラキラネームの真反対の陰キャネームで、当然いじめの対象になります。それで、雨ちゃんは雨が大嫌いになったのでした。
第6回で雨嫌いが解消されるのですが、それもあって雨のシーンが何回か出てきたのです。
わたしはそれを見ていて、わたしは学生時代から雨が好きだったなあと、自分のことを思い出したのでした。
わたしは京都の大学に通っておりました。当時実家は千葉にありましたので、下宿で一人暮らしをしていました。
いまでも下宿ってあるんですかね? 一戸建てに住んでいる大家さんが余った部屋を間貸しするというのが下宿というもので、プライベートはなくもないですけど、お部屋で運動とかすると怒られたりする感じでした。
わたしの友人は裕福な家庭の人が多くて、ほとんどの実家が一戸建てでした。公団住宅が実家なんて人は、わたし以外数えるほどしかおりませんでした。まあ当時は一億総中流なんて時代でしたから、公団住まいでも貧乏ではなかったのですけれど、一戸建てに住んでいる人はお金持ちというイメージがありました。
そんな裕福な友人たちでしたが、それでもほとんどが下宿に住んでいました。マンション住まいというのは女子学生にはちらほらいましたが、男子学生にはほとんどいなかったのです。
わたしが卒業した直後にバブル景気がやってきまして、それ以降マンション住まいの学生が増えたという印象があります。
京都市の中心街は典型的な盆地でして、夏は蒸し暑く、冬はカラカラで寒いのです。さらに春と秋がむちゃくちゃ短い。「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、これは京都でできたことわざだと思います。春も秋もお彼岸の1週間だけというのが京都の気候です。
そのせいで京都に住んでいる人は、学生も含めて、春物と秋物の服をほとんどもっていません。社会人になってから春と秋の普段着がなくて困りました。
いまや日本中が京都になった感じではありますが。
そんな気候なので、雨の日はむしろ過ごしやすかったのです。
しかも雨が降ると街の色がぼんやりして、水墨画みたいになるんですね。下宿の窓から外を見ていると心が癒やされるんです。
古都には雨が似合う、とわたしは思ったのでした。
そういえば鎌倉なんかもしとしと雨が似合いますよね。
京都から引っ越したあともずっと、わたしはけっこう雨の日が好きです。
自分が書きたいことと読みたいことはぜんぜん違う
「読みたいことを書けばいい」とよく言われます。そういうタイトルの本もあります(『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延著、ダイヤモンド社)。
人が書いているものを書いてもニーズはない。自分が読みたいのに、まだ誰も書いていないことを書けば、自分以外にも読みたい人がいる――だいたいそういう意味です。
わたしもその通りと思うのです。だからそれを心がけるのですが、書けた試しがありません。
けっきょく自分が書きたいことを書いてしまいます。
でも「古都には雨が似合う」なんていうタイトルやテーマの記事なんか誰が読みたいでしょうか。わたしだって読みたくありません(笑)。
その上、前置きは長いは、寄り道は多いはでは、読みたい人などほとんどいないでしょう。
これは悪い例を示そうと思って、ちょっと極端にまで書きたいことばかり書いています。おかげで3,500字を超えてしまいましたが、本当に言いたいことだけなら140文字もあれば書ける程度の内容です。
書きたいことと読みたいことはまったく別のものです。それなのに人はついつい書きたいことを一生懸命書いてしまいます。
自分の書いたものをバズらせたい人は、この記事をよーく分析して、悪いところを真似しないようにしましょう。
ですが・・・
ただライターで稼ぎたいのであれば、バズることは必要条件でもありませんし、十分条件でもありません。無関係とまではいいませんが、バズることに注力する以前にも以外にもすることがたくさんあります。
たとえば、今日のわたしのように、書きたいことをよどみなくスラスラ書ける能力も、職業ライターには大切なことだと思います。
それにバズるかどうかは、何を書いたかよりも誰が書いたかのほうにより大きく依存するものです。
ツイッター(新X)で、一般人さんのツイート(新ポスト)に10,000リツイート(新リポスト)がついたりすることがよくありますが、それはやはりラックによるもので、コンスタントに10,000リツイートつく一般人さんは見たことがありません。しかし有名人ならコンスタントに1,000ぐらいのリツイートがつくんですよね。
だから何者でもない人がまず目指すべきは、自分が書いたものをおもしろいと思えるという境地ではないでしょうか。
前掲の田中泰延さんも、
と書いておられます。
わたしもこんな文章はけっしてバズらないとわかっていつつも、自分ではおもしろいと思っているので、その意味ではとても幸せです。
バズりたいのは稼ぎたいためで、稼ぎたいのは幸せになりたいからだと思うのですが、バズる前に幸せになれるなら、それもありかなという気がします。
自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。